月別アーカイブ: 2025年12月

『「乗り物」はじまり物語』

ブリヂストン広報室編『「乗り物」はじまり物語』(東洋経済新報社,1986)をパラパラと読む。
タイトルの通り、自動車や二輪車、荷車、駕籠、鉄道、重機、船、飛行機などあらゆる乗り物の誕生が紹介されている。道路の項であるが、塩を運ぶ道というのは世界中に存在している。日本でも「塩の道」は各地にあり、塩尻や塩津、塩沢などの地名が残されている。
ブリヂストンの広報誌に掲載されていたようで、参考文献のまとめなので読みやすかったが、あまり面白くはなかった。

『台湾』

伊藤潔『台湾:四百年の歴史と展望』(中公新書,1993)を読む。
16世紀の大航海時代から日本の植民地時代、中国との対立まで、実はあまり知られていない台湾の歴史が駆け足で紹介されている。
実はあまり知らなかったのだが、日清戦争の講和条約締結後、日本はすんなりと台湾を手に入れたと思っていた。しかし、実際は日本軍が台湾進攻を展開し、台湾全土を治めるのに約3年ほどかかっている。また、日本のポツダム宣言受諾後、四川省の重慶に逼塞していた蒋介石は、1945年の9月1日に、台湾を支配下におき、日本政府が整備した大学や工場、道路や港湾などをタダで接収している。そして早い段階で共産党との戦闘準備をいたのだ。第二次国共内戦に敗れて台湾島へ逃げ込んできたイメージがあったが、間違いであった。

『埼玉県謎解き散歩』

金井塚良一・大村進編著『埼玉県謎解き散歩』(新人物往来社,2011)を読む。
10名を超える執筆者がおり、埼玉県内の歴史や文学などに関する小ネタが2〜3ページで紹介されている。この手の本にありがちな参考文献の孫引きという域を出ないが、埼玉県庁の職員や学校の先生、博物館の学芸員の方が書かれているので、一つ一つの記事が丁寧にまとめられている。

663年の白村江の戦いで、新羅・高句麗に敗れた百済の官民の多くが日本に渡来することとなった。この時の渡来人の技術や文化、産業面での活躍の痕跡は全国に広がっている。また8世紀に入ると、埼玉県の日高市や飯能市に高麗郡、埼玉県志木や新座、和光周辺に新羅郡が設立されている。そのため、志木は「志羅木(しらぎ)」の略称だとする説は根強い。

1945年8月14日、ポツダム宣言受諾後に米軍数十機のB29は、伊勢崎・熊谷に最後の爆撃を行っている。当時、熊谷には中島飛行場の工場や陸軍飛行学校の軍事施設があったためである。1時間以上にわたって、約8000発、約600トンの焼夷弾や大型爆弾を低空飛行によって投下し、一夜にして焦土と化した。被害は市域の74%、全戸数の40%におよび、死者266人、負傷者約3000人に達した。

秩父34カ所の観音霊場は、坂東33カ所、西国33カ所と共に、日本百番観音に数えられている。観音巡りは、観音が現世の我々を救済してくれる菩薩であり、33に化身して庶民を救うという振興に由来する。秩父の札所はもともと33カ所であったが、百観音霊場巡りの信仰が生まれると、秩父札所に1カ所追加されて34カ所になったとされる。

『地を這う虫』

高村薫『地を這う虫』(文春文庫,1999)を一気に読む。
元刑事の男が刑事魂から事件に巻き込まれていく4つの短編が収録されている。どれも刑事物ではあるが、社会の片隅にしぶとく生きていこうとする男の人生が描かれており、印象に残る作品であった。
1993年に刊行された本の文庫化であり、インターネットやスマホもない頃なので、公衆電話や自動車電話、手帳に挟み込んだ地図などのアイテムが興味深かった。

『西ヨーロッパの自然と農業』

小林浩二『西ヨーロッパの自然と農業』(大明堂,1986)を半分ほど読む。
タイトルの通り、主に西ヨーロッパの地形や気候、植生の分析と、その地域的特色を生かした農業について言及されている。地理の専門書らしく、ヨーロッパの定義から始まっている。2億5000万前〜3億年前にかけて、それぞれ独立したシベリア大陸とバルティカ大陸が衝突してできた褶曲山脈であるウラル造山帯の以西がヨーロッパである。

ただし、冷戦の頃に刊行された本なので、東ヨーロッパがすっぽりと抜けている。また、EC時代の共通農業政策(CAP)などを読むと、地誌というよりも世界史の参考書のようである。
地中海式農業というと、ブドウやオリーブばかりに注目が行きがちであるが、ヒツジやヤギの飼育も古代から行われていた。特に羊毛や生乳などは衣料やチーズに加工され、農村部の貴重な産業となっていた。しかし、当時は放し飼いが中心であったため、森林破壊や土壌侵蝕に繋がった点も銘記しておきたい。

平地の少ないノルウェーでも牧畜が盛んで、古くからフィヨルドの斜面を巧みに利用した移牧による乳牛が飼育されてきた。
オランダの河口部が海面よりも低くなっている原因としては、地盤沈下していることと、偏西風の影響によって砂丘が内陸部へ移動したことがあげられる。この地域の地盤沈下の速度は過去1万年の間に20m、つまり100年につき20cm沈下したことになる。また、偏西風による砂丘の移動は、過去1500年の間に3kmも内陸部へ移動している。