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「100年前から変わったか」

昨日の東京新聞夕刊のコラムである。
コラムを書いたのは東京大学大学院情報学環の林香里教授である。
東京大学を中心に、女性の学ぶ機会がガラスの天井によって抑えられているという趣旨である。

しかし、著者は「この国で学問を目指す女性たちにとって、まだまだ世間は冷たく、逆風が吹き荒れている」と言うが、東京大学でしか学問はできないのか?

著者の勤務先はたまたま東京大学であるが、これが本郷から近いお茶の水女子大学でも同じ趣旨の発言をするのであろうか。東大よりもお茶女を選択する女子も多いはずである。

天下の東京大学に女性が少ないという目を引くような題材を利用して、我田引水に持論を展開しているだけである。

「なぜ東京大学には女性が少ないのか?」という問いよりも、「なぜお茶の水女子大学に男子が入学できないのか?」という方が切実である。栄養学や食物学などのを学びたい男子高校生の進学は極めて限られている。生活科学系統の学部を設置する大学の多くが女子限定の募集としている。国立大学でなぜ、男女共同参画が実現できないのか。

『地球の解剖』

A・カイユ、竹内均訳『地球の解剖』(平凡社,1983)を読む。
タイトル通りの内容で、地球の外形、地球の内部、地殻の解剖、地球の化学組成、地球の起源、大陸の運動、造山運動と章立てされ、翻訳も分かりやすい。ただし、原書は1970年に刊行された本で、プレートテクトニクスや地磁気の移動、海溝の形成などは、はっきりとは書かれていない。

鋸山の凝灰岩〜養老川の川廻し

房総半島の地形に関して、凝灰岩や川廻しを実際に見てみようと思い出かけた。


川崎のうみほたる経由で鋸南町まで走った。鋸山の駐車場に行く狭い道で脱輪した。後方確認が不十分なままで、バックしたのが原因である。ロードサービスをお願いし、引き上げてもらった。しかし、他の作業が立て込んでいたようで、作業終了まで3時間半近く外で待つことになった。

鋸山ロープウェーで山頂まで上がった。房州石(凝灰岩)の実際の肌触りや色合いを確かめることができた。1980年には切り出しは終了したとのこと。写真にもあるが早稲田大学の11号館の裏あたり(?)にも設置されていた。ただし、車のトラブルで時間がなくなったので、石仏や有名な地獄覗きも見ることはできなかった。


千葉県は東日本一の早場米の産地である。「ふさおとめ」や「ふさこがね」といった地元のブランド米も有名である。たわわに実っていたので、「令和の米騒動」も無事に終了する見込みである。


最後に養老川の川廻し新田を確認しにいった。車で走っているとなかなか分かりにくかったが、馬立駅(『更級日記』で菅原孝標女が門出で立ち寄った場所とも言われている)付近の川廻しは用水路としてはっきりと残っており分かりやすかった。

数独に嵌まる

スマホの数独に嵌まっている。
通常の数独だけでなく、クロスタイプやジグソータイプもチャレンジし、今回は不等号タイプに初チャレンジした。解法も考えつつ取り組んだので、昨日から10数時間も画面を凝視し続けた。何度もリセットし、子どもの頃にファミコンのロールプレイングゲームに夢中になっていたことを思い出した。

Screenshot

『ベースボールと野球道』

玉木正之+ロバート・ホワイティング『ベースボールと野球道:日米間の誤解で示す400の事実』(講談社現代新書,1991)を少しだけ読む。
サブタイトルみある通り、タオルを用いたシャドウピッチングは日本生まれの練習法でMLBでは行っていないとか、狩猟民族のMLBには引き分けがないとか、日米の野球の違いについて400の項目で紹介されている。

しかし、30年以上前の本であり、まだ日本人がMLBに挑戦していなかった頃の話である。日本の野球スタイルが逆輸入されており、現在はどうなんだろう。

アメリカ人が日本に野球を紹介したのは明治時代初期の頃であった。それは日本人が初めて接した団体競技であり、瞬く間に日本全土を席巻するほどに人気を獲得したという。その理由として、投手と打者の対決が相撲や二人の武士による対決に類似していた点や、日本の伝統芸能や格闘技に見られるのと同様の〈間〉が存在していたことなどが挙げられる。また、当時の文部省もアメリカ生まれの団体競技を「日本人の国民性を伸長していく上で有益なもの」とみなしていた。

また、一高野球部では、武術の教義を持ち込んで、際限のない鍛錬による精神の錬磨を最も重要な要素と考えられていた。さらに、大正時代の早稲田大学野球部にも受け継がれ、高校・大学の日本の野球部に共通する思想と練習体系が作られていった。