空港で一杯。航空機のシートモニターの地図に「独島」の表示が。さすがアシアナ航空。
富山和子『水と緑と土:伝統を捨てた社会の行方』(中公新書 1974)を読む。
徹底して、水と緑と土を一環のものとして捉える哲学に支えられ、上流と下流、水路と水田を分ける近代的な発想を否定する。特にアスワン・ハイ・ダムについては、「20世紀最大の失敗」と手厳しい。1971年に完成したアスワン・ハイ・ダムは、元々1902年に英国統治時代に建設されたアスワン・ロウ・ダムのすぐ上流に作られている。アスワン・ロウ・ダムの時代から、水と沃土の適度な氾濫がなくなり、土壌中に塩分が蓄積されはじめ、化学肥料の大量使用が開始されている。また、上流の森林が荒らされたことにより、土壌侵食が加速度的に進行し、ロウ・ダムはその後30年間に3度も拡張されている。さらに、白ナイルと青ナイルの上流にもダムが建設されねばならなかった。こうした教訓が生かされることなく、ハイ・ダムが建設されてから、寄生虫の宿主となる巻貝が海に流されずに流域に留まり、風土病(住血吸虫症)が蔓延したこともある。
ネットで検索したところ、著者の富山さんは現在もご存命で、九条科学者の会にも名前を連ねている。本文中に「パンタロン姿」という言葉が出てくるほど、時代を感じる本ではある。
勉強不足な点があったので、引用しておきたい。エチオピア(アビシニア)高原の気候区分は、標高の関係Cwである。熱帯収束帯の北上とモンスーンの両方の影響を受けるため、特に夏場の降水量が多くなる。逆に冬場は同じくモンスーンの影響と、亜熱帯高圧帯の南下により、極端に降水量が少なくなる。
青ナイルは、水と沃土の量からいえばナイルの主役だった。ナイル川の水の7分の6はこの青ナイルから送られ、氾濫も青ナイルによってもたらされた。毎年5〜6月になると、エチオピアの山地のアビシニア高原にはインド洋からモンスーンがやってきて大量の雨を降らせる。だが未開の大森林は、降水を一挙に押し流させはしなかった。水は一旦地下に浸透し、長期間かけてから再び地表に流れ出た。その水は奔流となって岩石をも洗い、無機物を含んだ沈積土を運んだ。こうして7月、エジプトに洪水が訪れた。