杉山明博『発想の図式』(東洋館出版社 1993)をパラパラと眺める。
著者は執筆当時、造形家で静岡大学教授を務めている。ノート学に関する本なのだが、内容をどうまとめるとかいうよりも、ノート1ページ全体のレイアウトや材質などが、定義のあいまいなキーワードを散りばめて、極めて分かりにくい文章でまとめられている。読む価値なし。
日別アーカイブ: 2022年1月2日
『文楽に連れてって!』
田中マリコ『文楽に連れてって!』(青弓社 2001)をパラパラと読む。
文楽とは人形浄瑠璃の一派で、大阪の竹本義太夫によって始められた大阪弁をもとにした古典芸能である。竹本義太夫の師匠が近松門左衛門であり、人形浄瑠璃の中心いってもよい。
最後に著者は専門家でもない自身が入門書をまとめた立ち位置について、最後に次のように語る。
古典芸能には、専門用語とか決まりごとに確固たるものがあります。文楽もきっちりした伝統と決まりごとがあります。(中略)けれど、完全にマスターしてから、という準備にとらわれていては、少しも前に進みません。ものごとは準備不足ではじめてもいいのだと、スリランカ仏教のえらいお坊さま、アルポムッレ・スマナサーラも寛容におっしゃっています。古典芸能は絶対間違えてはいけないというこの「権威主義」が若い人たちになんともいえない威圧感を与え、古典芸能からますます遠ざかるという悪循環に陥ってしまってるように思います。間違えても、デコボコでもいいから、古典芸能に関心をもとうではありませんか。私も知識もほとんどなくて、経験もただ見てただけという頼りないところからはじめました。それでもがむしゃらに書いてみたのは、古典芸能欠落世代でも日本の情緒とか、古典芸能の必要性を痛切に感じるからです。(中略)奥が深い古典芸能を完璧に理解するのには時間がかかることですが、とりあえず興味をもつこと。
新日本プロレスオーナー(現ブシロード代表取締役会長)の木谷高明氏の名言「すべてのジャンルはマニアが潰す」を思い出す。学校の授業も同じである。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と、つねに初心者、初学者の視点を共有していきたい。
『解体ユーゴスラビア』
山崎佳代子『解体ユーゴスラビア』(朝日新聞社 1993)を少しだけ読む。
著者は1979年にユーゴスラビア(当時)に留学し、ユーゴスラビア文学を学び、その後もセルビアのベオグラードで生活する研究者である。その著者がユーゴスラビアの紛争を現地で暮らす人々の手紙や日記で綴っていく。
ユーゴスラビアは国土面積は日本の3分の2ほど、バルカン半島の西半に位置する南スラブ系の多い民族連邦国家であった。ちょうどローマカトリックとビザンチン帝国・コンスタンティノープルの中間にあり、カトリックと正教会の勢力がクロスする。また、オスマントルコの支配下にあったため、イスラム教信者も多い。
こうした歴史的背景があり、ユーゴスラビア時代から国境を無視して民族や宗教が入り混っていた。そこへ1991年にクロアチアとスロベニアが独立を宣言するところからユーゴスラビアの解体が始まっていく。
ざっくりまとめると、イタリアと国境を接しているスロベニアとクロアチアがまずドイツから承認をもらって一方的に独立を宣言する。この時、連邦維持を主張したのがセルビアとモンテネグロである。ボスニア・ヘルツェゴビナは中立であった。その隙を狙ってこっそりマケドニア(現北マケドニア)が独立をしてしまう。面倒だったのが、ボスニア・ヘルツェゴビナである。セルビア人とクロアチア人とイスラム教のボシュニャク人の3つの民族が混在しており、対立が表面化する。今でも国内はクロアチア人とボシュニャク人のボスニア・ヘルツェゴビナ連邦と、セルビア人のスカルプスカ共和国の2つの構成体からなる連邦国家である。
そうこうしているうちに、モンテネグロが選挙でセルビアとの連合から抜けて独立を果たす。最後に、セルビア内にあったアルバニア系のイスラム教徒のコソボ自治州がセルビアとの戦争を経て独立していく。