森博嗣『自由をつくる 自在に生きる』(集英社新書 2009)を読む。
著者の森博嗣であるが、押井守が監督した『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』(2008)の原作者として名前を知っていた。
40歳を過ぎて名古屋大学の准教授の職を辞し、専業の小説家となった移植の経歴の持ち主である。その著者が自由の定義と自由に生きることの実践を説く。著者の考える人生観が著者自身の言葉で訥々と語られ、酒場で職場の先輩の話を聞くように心に染み入ってきた。
僕は、だいたいにおいて、他人の目を気にしない人間だと思う。自分が基準なので、自分が普通だと思うわけで、結局、「何故、みんなはあんなに人の目を気にするのか」と考えるはめになる。ものごとを客観的に観察しようとすると、人の目といった想像上の(思い込みの)自分の目こそ疑いたくなる。
もう少し説明すると、「人の目を気にする」人間の大半は、「自分の周囲の少数の人の目を気にしている」だけである。そして、「人の目を気にしない」というのは、自分一人だけの判断をしているのではなく、逆に、「もっと確かな目(あるときは、もっと大勢の目)による評価を想定している、という意味だ。それは「今の目」だけではなく、「未来の目」にも範囲が及ぶ。それが「客観」であり、「信念」になる。
最近では、子供に自分の夢を託す親が増えているように思う。子供に習い事をさせたり、塾に通わせたりしている。まあ、悪くはない。しかし、子供にやらせるならば、自分でしたら良いのではないか。あるいは、自分も一緒にやってみたらどうなのか。何故、自分ではなく、子供にさせるのだろう。そのあたりをもう少し考えてほしい。子供の人生は子供のものである。けっして親のものではない。もちろん、援助は必要だけれど、投資すべきなのは、子供ではなくむしろ自分である。30代や40代というのは、まだまだ投資して、あたらいしことを取り入れる年齢ではないのか。「親」という「子供育成マシン」に成り下がる必要はないのである。それこそ不自由だ、と僕は思う。