月別アーカイブ: 2022年1月

「民の熱意のバロメーター」

本日の東京新聞朝刊記事より。
学生時代の友人が特集されていました。
まず疑問に思ったことを言葉にしてみる。そして、自分の考えを他者に伝える。他者の意見に耳を傾ける。納得したことを行動に移してみる。同じ考えの仲間を探す。
そうした当たり前のプロセスを一つ一つ積み上げていくことが大切だと思います。
ちなみに私が学生時分に行なっていた病院の看護補助のバイトのシフトを、松本くんに引き継いだことを今でも覚えています。

『おはなし統計入門』

森口繁一『おはなし統計入門』(日本規格協会 1991)を読む。
著者は東京大学工学部で定年まで教授を務め、その後電気通信大学で5ヵ年や東京電機大学でも5ヵ年教授を務め、日本の数理工学のパイオニアのような存在である。本書でも様々な調査データや自然データを用いて、統計学や確率論からどのような特徴を導き出せるのかという実験を行なっている。サイコロや血液型からGDPや出生率、道路交通死亡者などの不確定要素を含むデータから、対数表やカイ二乗、四分位点分析を通すと、大変分かりやすい有意な結論が得られる。
著者は細かい使えない分析をするよりも、大雑把で良いから使える統計を行えと説く。

小規模の(大きさ何百という程度の)標本調査の結果を、32.4%などと報道するような新聞やテレビを見たら、「統計の入門程度の知識もないのだな」と考えても、まずは間違いないでしょう。

「円楽 見据える先は」

本日の東京新聞朝刊に落語家三遊亭円楽さんが特集されていた。
その記事の中の、伊集院光さんが紹介した円楽さんのコメントが印象に残った。
言葉を足すなら、幸せな人生を送るためには、好きなことにとことんのめり込む集中力や、長く好きで居続ける計画力、またそれらを仕事に繋げるだけの企画力や、関心のない他者に提案する力が必要となる。取りも直さず、自分が本当に好きで楽しいと思えることを探していく好奇心が最も大切なことである。そうした好奇心を伸ばす授業を今後とも心がけていきたい。

時間を忘れるほど好きなことに少しの社会性を持たせて仕事になるなら、それが一番幸せ。

『発想の図式』

杉山明博『発想の図式』(東洋館出版社 1993)をパラパラと眺める。
著者は執筆当時、造形家で静岡大学教授を務めている。ノート学に関する本なのだが、内容をどうまとめるとかいうよりも、ノート1ページ全体のレイアウトや材質などが、定義のあいまいなキーワードを散りばめて、極めて分かりにくい文章でまとめられている。読む価値なし。

『文楽に連れてって!』

田中マリコ『文楽に連れてって!』(青弓社 2001)をパラパラと読む。
文楽とは人形浄瑠璃の一派で、大阪の竹本義太夫によって始められた大阪弁をもとにした古典芸能である。竹本義太夫の師匠が近松門左衛門であり、人形浄瑠璃の中心いってもよい。
最後に著者は専門家でもない自身が入門書をまとめた立ち位置について、最後に次のように語る。

古典芸能には、専門用語とか決まりごとに確固たるものがあります。文楽もきっちりした伝統と決まりごとがあります。(中略)けれど、完全にマスターしてから、という準備にとらわれていては、少しも前に進みません。ものごとは準備不足ではじめてもいいのだと、スリランカ仏教のえらいお坊さま、アルポムッレ・スマナサーラも寛容におっしゃっています。古典芸能は絶対間違えてはいけないというこの「権威主義」が若い人たちになんともいえない威圧感を与え、古典芸能からますます遠ざかるという悪循環に陥ってしまってるように思います。間違えても、デコボコでもいいから、古典芸能に関心をもとうではありませんか。私も知識もほとんどなくて、経験もただ見てただけという頼りないところからはじめました。それでもがむしゃらに書いてみたのは、古典芸能欠落世代でも日本の情緒とか、古典芸能の必要性を痛切に感じるからです。(中略)奥が深い古典芸能を完璧に理解するのには時間がかかることですが、とりあえず興味をもつこと。

新日本プロレスオーナー(現ブシロード代表取締役会長)の木谷高明氏の名言「すべてのジャンルはマニアが潰す」を思い出す。学校の授業も同じである。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と、つねに初心者、初学者の視点を共有していきたい。