『続・奈良点描』

長田光男『続・奈良点描』(清文堂出版 1985)をパラパラと読む。
奈良の歴史や十津川村の変遷、各地の旧跡、現在まで伝わる祭などが採り上げられている。その中で、吉野と中央構造線の関係ついて論考が興味深かった。吉野というと山の中の交通不便な僻地という印象が強い。しかし、不便な地と見るのは、奈良・大阪・京都などを中心に考えた時であって、この地を地形図で見た場合、ちょうど吉野は中央構造線のど真ん中にある。西は紀の川を経て四国・瀬戸内・九州へと行けるし、東は伊勢を経て東海地方へ容易に繋がるのである。飛鳥時代には大海人皇子、時代は下って源義経や後醍醐天皇など、吉野に入った人の数は多い。

また、奈良が1980年代前半まで奈良は靴下の一大生産地であったそうだ。当時から中国や韓国から安い輸入物が出回っていたが、まだまだ質の悪かったようで、国産には敵わなかったとのこと。このあと急激な円高によって、急激にシェアを落としていくのであるが、現在でも奈良は高級な靴下を生産している。