月別アーカイブ: 2021年11月

『三蔵法師インドを行く』

菅原篤『三蔵法師インドを行く:続・西遊記の旅』(筑摩書房 1984)をパラパラと読む。
仏典を求めてインドへ旅立った三蔵法師・玄奘のインドでの活躍が描かれている。物語中の仏塔の説明で次のように書かれている。

さて仏塔はどうして生まれたのだろうか?
いまから約2500年前ころにお釈迦様が亡くなったのち、その教えをしたった人たちが遺骨や歯や爪や髪の毛をつぼにいれ、塚を築き、その上にしるしを作ったものが、仏塔のはじまりであった。塚はもちろん、お釈迦さまにゆかりのある土地につくられrた。それがやがて、塚の上に記念の建物が作られたり、かざりが置かれるようになった。もちろんインドがその発祥の地であるが、仏教が東アジア全域にひろがるにつれ、方々に仏塔がたてられた。

法隆寺の五重塔やインドネシアのボロブドゥールなども仏塔が進化したものだと考えられている。

「RCEP アジア貿易効果期待」

本日の東京新聞朝刊に、東南アジア連合に日本、中国、韓国、オーストラリア、ニュージーランドの5カ国を加えた15ヵ国で発足する地域的な包括的経済連携協定(Regional Comprehensive Economic Partnership:RCEP)について、メリットや今後の課題を含めて分かりやすく説明されていた。来年の授業からは大きく取り上げることになるであろう。

記事の最後の方にもある通り、日本が米中両にらみの立ち位置をとるべきだとの指摘は正しいと思う。台湾だけでなく南シナ海の南沙諸島やミャンマーの軍事政権支援など近年の中国の拡大を牽制しつつ、米国のおせっかいな介入を防いでいく積極的中立姿勢が必要な場面である。

また、物や金だけでなく、貿易や投資ルールの自由化・円滑化、労働力の移動の促進など、多方面の分野での連携を押し進める経済連携協定なので、閉鎖的な日本の法制度や商慣習が代わっていくチャンスでもある。

  • EPA:貿易の自由化に加え、投資、人の移動、知的財産の保護や競争政策におけるルール作り、様々な分野での協力の要素等を含む、幅広い経済関係の強化を目的とする協定

 

「難民押し寄せ EU緊迫」

本日の東京新聞朝刊に、旧ソ連のベラルーシ国境に中東から約3000人の難民が押し寄せ、EU加盟国のポーランドに侵入しようと国境付近でのせめぎ合いが生じているとの記事が掲載されていた。
先月の授業でもとり上げたが、トルコとギリシアの国境付近での衝突とよく似た話である。EU加盟国は「シェンゲン圏(The Schengen Area)」という領域を形成し、EU域内では、EU市民であるかEU域外国の人であるかにかかわらず、旅券(パスポート)検査などの出入国審査(域内国境管理)が廃止される協定が結ばれている。もちろん自由にEUに入ることはできないが、一度入ってしまえば、さまざま制限はあるが工場や農場で働き、生活することができる。ましてやポーランドはドイツに近いため、ギリシア以上に難民にとっては好都合である。

それにしても奇妙な話である。なぜ、急にイラク難民が言語も宗教も気候も異なるベラルーシにやってきたのであろうか。記事にもある通り、独裁体制を敷いて長期に政権の座に居座るルカシェンコ大統領の影がちらつく。ルカシェンコ大統領とロシアのプーチン大統領が密約してEUを困らせるような対応をしているのであれば、難民を政治利用した許せない行為である。

「燃料高騰追い風 ロシア輸出攻勢」

本日の東京新聞夕刊より。
世界的に脱化石燃料の風潮が強まり、値段が高騰する中、天然ガス、原油、石炭とも輸出量で世界第3位に入るロシアが積極的な資源外交を展開しているという内容だ。経済封鎖の真っ只中にある北朝鮮を巻き込んだ石炭輸出ルートや、親ロ色が強いハンガリーとの長期にわたる天然ガスの供給計画、トルコを経由した天然ガスパイプラインの建設、インドへのコークス炭の輸出など、授業の教材研究にぴったりの内容であった。ロシアのところで、プーチン政権の推し進める資源外交について触れたい。

『「鉄のぬけ道」をあるく』

松尾定行『「鉄のぬけ道」をあるく:知ってて得する88のルート』(東京堂出版 2007)を手に取ってみた。
筆者自身が、本邦初の「鉄の抜け道」実態調査報告書と名打っているように、北は北海道から南は九州まで、路線こそ違うものの極めて近い駅同士を繋ぐ抜け道が写真入りでまとめられている。埼玉県では、JR高崎線の宮原駅とニューシャトルの東宮原駅を結ぶ900mの道のりに始まり、JR宇都宮線の土呂駅とニューシャトルの加茂宮駅、同じくJR宇都宮線の土呂駅と東武野田線の大宮公園駅、東武野田線の北大宮駅とニューシャトルの鉄道博物館駅の4本の抜け道が、情報量いっぱいに紹介されている。他にもマニアには楽しめるような内容が満載であったが、さすがに読んでみようという気持ちにはならなかった。