月別アーカイブ: 2019年12月

「環境対策は『金もうけのチャンス』吉野さん会見」

本日の東京新聞夕刊に、ノーベル化学賞を受賞した吉野さんの会見の様子が紹介されていた。
環境対策というと工業に逆行する、コストのかかるものという前提があるが、吉野さんは「環境に優しくて安い製品を日本から発信すれば、世界制覇できる。大阪流に言えば、絶好の金もうけのチャンス」とまで言い切る。そして、自身が開発に貢献したリチウムイオン電池を中心に据えた持続可能社会について提言する。

現在開発が進む、リチウムイオン電池の進化型の「全固定電池」が実用化されると、ガソリン自動車や化石燃料発電所は駆逐されるとも言われる。私たちが享受してきた産業革命以降の社会のあり方そのものがパラダイムシフトを起こしていく。省エネや効率化といった、これまで日本が得意としてきた技術革新が全く通用しなくなる時代がこれから訪れるのかもしれない。

文系に進む生徒も、理工系に進む生徒も、吉野さんが描くこれから20年先の、脱化石燃料、脱原発の社会のあり方を展望してほしいと思う。

『約束の日 安倍晋三試論』

小川榮太郎『約束の日 安倍晋三試論』(幻冬舎 2012)を読む。
読むに耐えない内容であった。民主党政権時に執筆された本で、閣僚の不祥事やマスコミのエゲツない批判で辞任に追い込まれた安倍晋三の復帰を願って、徹頭徹尾ヨイショする提灯記事である。

筆者は音楽評論を専門としているだけあり、文体は「マンションポエム」さながらである。

(江藤純が言論世界への挑戦に対して「弱さ」を抱えていたという見解に続いて)しかし、「弱さ」を抱えていない理想家などというものがあるだろうか。「弱さ」とは無縁なほど、物を感じる力のない人間に、どのような高い戦いができるだろう。それは単なる「弱さ」ではない。負けを承知で戦いに挑む真の勇者の「弱さ」、いわば高貴な「弱さ」である。おそらく、同質の「弱さ」を抱えながら、「どのような勇者もしり込みするような責務を引き受け」る首相として登場したのが、安部だった。三島由紀夫の切腹は、安倍首相の「戦後レジームからの脱却」によって、文学者の狂熱から救われ、穏当で希望に満ちた政治言語化された。
(中略)安倍は、このように、日本を高い精神的位相で守ろうとした高貴な血脈に連なっている。平成の日本人には極めて稀な資質だ。

「安倍の応援団」といった括りがあるが、おそらくは著者のような訳の分からない取り巻き連中のアイコンが安倍晋三なのであろう。

1度目の政権時に、閣僚の不祥事とマスコミや野党の追求に真っ当に向き合ったために政権を放り出したという反省から、現安倍政権では閣僚の不祥事に全く取り合わず、マスコミや野党の追求を徹底して騙くらかす知恵を身に付けたという点は十分に理解できた。

『恋歌』

五木寛之『恋歌』(講談社文庫 1971)を読む。
1967年9月から翌68年4月にかけて新聞に連載された小説である。戦後満洲からの引き揚げ時に外国兵からレイプされた経験を持つ妻冬子とレコード会社に勤め、高度経済長を駆け上がる夫信介の奇妙な夫婦に多くの若者が惹きつけられていく。

高校時代に読んだ本で、30年振りに読み返した。当時は硬派な小説を期待していたので、肩透かしを食らった作品であった。今読み返してみてもテーマが陳腐で、単なる娯楽小説となっている。

「新NAFTA修正合意」

本日の東京新聞夕刊に、アメリカとメキシコ、カナダと締結する「北米自由貿易協定(NAFTA)」に代わる新協定の修正案に、米国民主党も合意したとの記事が掲載されていた。

NAFTAについては、メキシコで製造された自動車や自動車部品が関税なしに米国に入ってきて、米国の労働者の雇用を奪っていると、トランプ大統領が就任前から不満を漏らしていた協定である。

記事に詳細は書かれていないが、米国に都合の良いようなセーフガードを盛り込んだ関税制度、貿易体制となっているのであろう。日本にとって「対岸の火事」と傍観できるようなニュースではない。地理の授業の中でも扱ったが、米国産原油の問題と絡めて、慎重に推移を後追いしたい。