月別アーカイブ: 2016年9月

『熱愛自転車塾』

長尾藤三『熱愛自転車塾:もっともっと深〜く長〜くジテンシャを愛する法。』(五月書房 2009)を読む。
60代後半になる著者がロードバイクを中心に、走る時の姿勢やカーブの曲がり方、自転車の整備の仕方、用品の選び方など、分かりやすく解説を加えている。肘の使い方やハンドルの握り方、力の加え方などをイラストや写真ではなく、言葉だけで説明しており、却ってすんなりと理解することができた。
腰を立てることで下半身と上半身を上手く連携させる点や、肘の力を抜くことで柔軟に体の筋肉を使う点など、自転車も武道や他のスポーツと同じなんだと改めて理解した。
本論とはあまり関係ないが、エピローグの一節が興味深かった。引用しておきたい。

 技術経済って奴は、アクセルしかついてないからね。停まることを怖れて、とにかく前へ前へと進みたがる。ハンドルとブレーキの役割をするはずの政治は、今や経済のしもべで、主義主張に関係なく、世界中の政治課題はどの国でも
「どうすればもっと景気はよくなるか」
 もうひとつのハンドル&ブレーキ役の思想は、もう存在しないかと思うほど無力です。

漱石から子規への手紙

本日の東京新聞朝刊の子育て欄にある「手紙の書き方味わい方」というコラムの中で、生活手紙研究家の中川越氏は、ロンドン留学中の夏目漱石から、結核に冒され衰弱の極みにあった正岡子規に宛てた手紙を紹介している。
ある日、漱石がロンドンのセント・ジェームズ・ホールなる所で、日本の柔術使と西洋の相撲取り、すなわちレスラーとの異種格闘技があるというので出かけたところ、時間の都合で取り辞めになり、代わりにスイスとイギリスのレスリングチャンピオン同士の勝負を見たそうだ。そこで彼は、病床にあり気が滅入っている子規に次のような手紙を寄越したそうだ。

 西洋の相撲なんて頗(すこぶ)る間の抜けたものだよ。膝をついても横になっても逆立ちをしても両肩がピッタリと土俵の上へついて然も一二と行司が勘定する間此(この)ピタリの体度(たいど)を保って居なければ負でないって云うんだから大(おおい)に埒のあかない訳さ。蛙のようにヘタバッテ居る奴を後ろから抱いて倒そうとする、倒されまいとする。座り相撲の子分見たような真似をして居る。

この噺家のような滑稽な表現にあふれた手紙を、政岡子規は「非常ニ面白カッタ」と高く評価したそうだ。筆者は「絶望の淵にいる友への手紙の書き方に答えはない」とまとめているが、そんなことよりもレスリングを初めて見た漱石の評価の方に興味が行った。確かに一瞬の立ち会いで勝負が決する相撲に比べれば、レスリングの試合は何とも間延びした子どもじゃれ合い程度に漱石の目に映ったのだろう。
リオオリンピックで大活躍した女子レスリング選手に国民栄誉賞を授与しようという報道もあるが、漱石だったら今夏のリオ五輪のレスリング試合をどのように評価するだろうか。きっと上記以上に辛口の批評を綴るであろう。