本日の東京新聞朝刊の子育て欄にある「手紙の書き方味わい方」というコラムの中で、生活手紙研究家の中川越氏は、ロンドン留学中の夏目漱石から、結核に冒され衰弱の極みにあった正岡子規に宛てた手紙を紹介している。
ある日、漱石がロンドンのセント・ジェームズ・ホールなる所で、日本の柔術使と西洋の相撲取り、すなわちレスラーとの異種格闘技があるというので出かけたところ、時間の都合で取り辞めになり、代わりにスイスとイギリスのレスリングチャンピオン同士の勝負を見たそうだ。そこで彼は、病床にあり気が滅入っている子規に次のような手紙を寄越したそうだ。
西洋の相撲なんて頗(すこぶ)る間の抜けたものだよ。膝をついても横になっても逆立ちをしても両肩がピッタリと土俵の上へついて然も一二と行司が勘定する間此(この)ピタリの体度(たいど)を保って居なければ負でないって云うんだから大(おおい)に埒のあかない訳さ。蛙のようにヘタバッテ居る奴を後ろから抱いて倒そうとする、倒されまいとする。座り相撲の子分見たような真似をして居る。
この噺家のような滑稽な表現にあふれた手紙を、政岡子規は「非常ニ面白カッタ」と高く評価したそうだ。筆者は「絶望の淵にいる友への手紙の書き方に答えはない」とまとめているが、そんなことよりもレスリングを初めて見た漱石の評価の方に興味が行った。確かに一瞬の立ち会いで勝負が決する相撲に比べれば、レスリングの試合は何とも間延びした子どもじゃれ合い程度に漱石の目に映ったのだろう。
リオオリンピックで大活躍した女子レスリング選手に国民栄誉賞を授与しようという報道もあるが、漱石だったら今夏のリオ五輪のレスリング試合をどのように評価するだろうか。きっと上記以上に辛口の批評を綴るであろう。