月別アーカイブ: 2014年9月

『ロシアはどこに行くのか』

筑波大学大学院教授中村逸郎『ロシアはどこに行くのか:タンデム型デモクラシーの限界』(講談社現代新書 2008)を読む。
地誌学の勉強として読み始めたが、読み終えたのは試験後であった。まあ、試験は北ユーラシアの自然環境だったので、試験前に読み終えてもあまり意味はなかったかもしれない。

話は2000年から2008年までの第2代大統領時代のプーチンの人柄や政策に絞られ、大統領就任後の政治や社会の変化が丁寧に説明されている。
プーチンは強いリーダーシップ像を打ち出しているが、それは「永遠に若いリーダー」として神話化されているレーニンのイメージを意図的に踏襲しているものである。一方、プーチンは旧ソ連共産党から迫害を受けたノーベル賞作家のソルジェニーツィンに国家勲章を授けている。中村氏は、保守派(スラブ的・共産党寄り・独裁主義)と、改革派(西欧的・市場経済・民主主義)の両側面を絶妙に使い分けているバランス感覚に長けている政治家であると評している。しかし、裏金や賄賂、不正工作まみれの選挙によって議会を牛耳るなど、国民の圧倒的支持のもとで、権力の個人集中を進めており、批判した人物が謎の死を遂げるなど、一昔前の開発独裁の側面も指摘される。国内では貧富の差が拡大しており、それもウラル山脈の西側のヨーロッパ地域と、ウラル山脈東側のアジア地域の間で、また、ロシア本国と連邦内共和国の間で、さらには、連邦と周辺の独立共和国の間で、地域や民族の分断を助長する方向で格差が広がっているという実情が、プーチン個人のリーダーシップで糊塗されている。

気になった一節を引用しておきたい。ロシアとヨーロッパの関係について、経済は良いが軍事はダメという方針は、考えてみれば当たり前のことなのだが、日本人はついついそうした関係を単純化してしまう傾向が強いように思う。

(ロシア軍のグルジア侵攻について、米国や西欧諸国が難を示した点について)ロシアからすれば、EUの東方拡大にはそれほどの違和感はない。というのもEUの東方進出はロシアにとってマーケットの拡大を意味し、経済好調を維持する上でのマイナス面は少ないからだ。だが、北大西洋条約機構(NATO)の勢力拡大は我慢できない。

それにしても、1科目50分で3科目の試験は体力的に堪える。帰りの電車ではぐったりとなってしまった。

2回目の試験

本日、神田小川町まで2回目の試験を受けにいった。
地誌学と社会科教育法Ⅱ、自然地理学の3科目である。
普段の行い(?)が良かったのか、たまたま試験直前に目を通しておいたところが出たので、何とか解答用紙を埋めることができた。

帰りに小川町から神保町までブラブラ歩きながら帰ってきた。
途中三省堂に立ち寄った。何年ぶりであろうか。10数年ぶりか。。。
しかし、日曜日の昼下がりであったが、往時の賑わいには欠ける雰囲気であった。

『ポケット図解 ロシア連邦がよ〜くわかる本』

榎本裕洋『ポケット図解 ロシア連邦がよ〜くわかる本』(秀和システム 2007)をかいつまんで読む。
地誌学の試験範囲が「北ユーラシア」だったので、試験直前にロシアの国土や歴史、政治、経済についての知識を詰め込んでおこうと手に取ってみた。
参考書と同じく、太文字のゴシック体の用語だけを拾いながら読んだだけなのだが、ゴルバチョフがロシアであまり人気がない訳や、プーチンを崇拝するロシアの国民性などが少し理解できたような気がした。

『女子校育ち』

辛酸なめ子『女子校育ち』(ちくまプリマー新書 2011)を読む。
中高女子校出身の作者が、都内の私立の女子校の文化祭や説明会に参加したり、女子校の教員や卒業生にインタビューしたりしながら、誰にでも分かる形で女子校の生態を詳らかにしている。一般に6年間の女子校生活というと、お決まりのドロドロした人間関係や男性の視線を意識しない自由奔放な振る舞いというイメージで語られがちである。しかし、実際は男性がいないために女性の中にある「男性性」が磨かれていき、良くも悪くも逞しくなっていく場であるとのこと。
しかし、近年ケータイやネットの発達、放課後の予備校の充実などで、純粋な女子校や男子校の雰囲気が過去のものになりつつある現状に、作者は一抹の寂しさをもらしている。

経済学史 第4課題

長期期待と金融市場
 Keynesは,投資においても流動性選好においても,「期待」の持つ役割を非常に重視している。マクロ経済学の移動的均衡理論は,「将来に対する見方の変化が現在の状況に影響を及ぼすことのできる経済システム」であり,同時に,群集心理によって投資が過熱する賭博的市場である。
 「ビジネス決意の基礎」には「短期期待」と「長期期待」がある。資本設備を一定とした企業の毎朝の生産量決定は短期期待である。一方,主として将来の資本設備を追加するケースは長期期待に依存する。長期期待とは「確信をもって予想しうるにすぎない将来」全体に対する心理的期待の状態であり,市場が安定していれば,将来への投資動機としてプラスに働く。しかし,「確定的な変化を予想する明白な根拠はないにしても,現在の事態が無限に持続するという仮説が普段よりは些か怪しくなった異常な場合には,市場は楽観と悲観の波に曝されることになろう」と,投資市場への確信が僅かでも揺らいでしまったら,長期期待は土台から崩れてしまう。
 「投機家は,企業の着実な流れに浮かぶ泡沫としてならば,何の害も与えないであろう。しかし,企業が投機の渦巻の中の泡沫となると,事態は重大である。一国の資本発展が賭博場の活動の副産物となった場合には,仕事はうまくいきそうにない」と,マネーゲームに翻弄され世界大恐慌の引き金となったニューヨーク市場の実情に触れている。さらに,投資の発展と阻害の機能を併せ持つ投資市場のジレンマについて分析を加えながら,「一般的,社会的利益を基礎として計算することのできる国家が,投資を直接に組織するために,今後ますます責任を負うことを期待している」と述べ,市場に国家政策が介入することの重要性を説いている。

アニマルスピリッツ
 Keynesは上述の「投機の基づく不安定性」がなくとも「道徳的,快楽的,経済的とを問わず数学的期待値に依存するよりも,むしろ自生的な楽観に依存しているという人間本性に基づく不安定性が存在する」と述べる。さらに,「将来に影響を与える人間の意思決定は,我々の生まれながらの活動への衝動であって,我々の合理的な自己は,可能な場合には計算しながらも,しばしば我々の動機として気まぐれや感情や偶然に頼りながら,できる限り最善の選択を行っているのである」とし,Keynesは人間をアニマル・スピリッツをもって知性を駆使する存在であると定義づける。

ケインズの経済政策
 Keynesによれば,経済社会の欠陥は失業と富・所得の不平等であり,消費性向を高める所得分配政策と,利子率政策,投資のやや広範な社会化の3つの政策の必要性を提唱している。
 1番目について,Keynesによれば,完全雇用が実現するまでは資本の成長において低い消費性向は阻害要因であり,貯蓄は過大となっているから,消費性向を高める所得分配政策が有利である。そうすれば富の不平等が是正されると見ている。さらに,マネーメーキングの動機と私有財産制度は,価値ある人間活動の実現に必要であり,同時に危険な人間の性癖を緩和するためにも必要だと述べ,拡大しつつあった共産主義に牽制を加えている。
 2番目の利子率政策とは「利子率を資本の限界効率との関係において完全雇用の存在するまで引き下げる」政策である。
 3番目の政策として,公共事業政策こそが「完全雇用状態を確保する唯一の方法」だとする。ただし,政府の役割は「消費性向と投資誘因との間の調整を図るための中央統制」までであり,これを超えた「国家社会主義体制」は正当化できるものではない。

 Keynesは「もし我々の中央統制が,完全雇用に近い状態に対応する総産出量を実現することに成功するならば,この点から先は古典派理論が再び本領を発揮するようになる」と述べ,個人のイニシアティブを効果的に機能させる政府のあり方を提示する。
 世界大恐慌後、ナチスが独裁政権を作りつつあった欧州戦線を意識し、Keynesは次の言葉で『一般理論』を締めくくる。「個人主義は,他のいかなる体制と比較しても個人的選択の働く分野を著しく拡大するという意味で,とりわけ個人的自由の最善の擁護者である。また,個人主義は生活の多様性の最善の擁護者でもある。生活の多様性を失うことは画一的あるいは全体主義的国家のあらゆる損失の中で最大のものである。なぜなら,この多様性こそ,過去何世代もの人々の最も確実で最も成功した様々な選択を包容する伝統を維持するものであり…将来を改善する最も強力な手段だからである。従って,消費性向と投資誘因とを相互に調整する仕事にともなう政府機能の拡張は…現在の経済様式の全面的な崩壊を回避する唯一の実行可能な手段であると同時に,個人の創意を効果的に機能させる条件であるとして擁護したい」。