天童荒太『永遠の仔』(幻冬舎 1999)を数日かけて読んだ。
久しぶりに読書しながら涙が溢れてきた。しばらく泣くということもなかったので、すがすがしい涙であった。
原稿用紙2400枚近い長編であるが、推理小説のような展開と、人間存在の孤独にとことん向き合おうとする登場人物のやりとりに、家族や仕事そっちのけで引き込まれてしまった。私の読書経験のベスト10に確実はいる作品である。この作品を読みながら心に描いた風景は、しばらく胸の奥に残り続けるであろう。
人間は一人では生きられないし、一人で生きようとすることは他人を認めないことである。そして他人を認めないということは、他人と繋がっている自分そのものを否定することである。だから人間は生きている、ただ生きているそれだけで、他人と関わらざるを得ず、自分を肯定することである。ただ生きているだけで、過去の自分を受け入れ、現在の自分を許し、そして将来の自分を信じることになる。
作者は生きることのすばらしさと力強さをこれでもかと読者に訴えかける。
情緒障害の養護学校を出て叔父夫婦の養子になったジラフに、養母が次のように話しかける場面が印象に残った。
梁平ちゃん、わたしたちと、ずっと距離を置いていたでしょ? 責めてるんじゃないの。いまでは、思うのよ。梁平ちゃんが、距離を置いていたのは……なじめないってこと以上に、わたしたちを傷つけるのがいやで、なるべく離れていようとしたんじゃないかって……
(中略)
同じようにね。好きな人とも距離を置いてしまうことが、あるんじゃないかと思ったの。でも、気をつかいすぎるあまり、より深く、相手を傷つける場合もあると思うのよ。結婚しなくても、家族を持たなくてもいい。でもね、できれば、一緒に生きる相手は見つけてほしい。相手を認めることと、相手から認められることが、生きてゆくには、大事だと思うもの。ひとりで踏ん張ろうとし過ぎると、自分はもちろん、やっぱり誰かを傷つける気がする。すべてを、一人で背負って、解決しようとするばかりが、大人のやり方じゃない。人を信頼して、まかせたり、まかせられたりできるのも、一つの成長かなって思うし、ゆっくりでもいい、自分を開いてみたら、どう……人にすべてを託して甘えることを、自分自身に許してあげたら、どうかしら……