本日の東京新聞の夕刊に関西学院大学教授を勤める、精神科医野田正彰氏のコラムが掲載されていた。
野田氏は現在東京大空襲訴訟の被災者の精神的医学診察に携わっており、そうした晩年を迎えた被災者に、自責や抑うつの症状が表れはじめていることを指摘している。一部彼の文章を「写経」し心に留めておきたい。
この二十数年、私はホロコーストを生き残ったユダヤ人、旧日本兵による長期にわたる死の恐怖を伴う性暴力を受けた海南島や山西省の中国人女性、日本へ拉致された中国人捕虜、戦時二百万人餓死を生きのびたベトナム人などの診察を通して、「晩年における破局的体験への過去」現象に気付いてきた。
近年、戦争体験者が老いて生存者が少なくなるにつれ、過去の話を聞いておこうという動きが出ている。だが戦場にあった兵士たちはいざ知らず、一方的に被害を受け無力だった人びとは、戦後六十年たった今こそ、苦しんでいるのである。東京大空襲の被害者、そして日本各地の空襲被害者は、戦争被害者受忍論によって、自らの不幸を公的に悲しむ道を閉ざされてきた。運が悪かったと、私的に憾むしかなかった。
東京大空襲では十万人以上が亡くなったのに、いまだ遺骨を慰霊する独立施設さえ造られていない。歴史を語っているのではなく、今まさに悲しみ苦しんでいる人びとがいる。彼らを分断し、共に悲しむ会話を閉ざしてきたのは、戦後を生きている私たちである。
老いて殺されていった人に何もできなかったと自分を責めている被害者は、反省しない社会に代わって、なお苦しみを背負っているのではないだろうか。