夏の3冊目
宮元健次『龍安寺石庭を推理する』(集英社新書 2001)を読む。
造営年代も作者も、また造形の意図すら明らかでない、京都の金閣寺の近くにある龍安寺の石庭の謎に迫る。膨大な史料を駆使して、龍安寺の成立年代や作者についての仮説を一つ一つ潰していき、最終的には江戸時代初期に造営され、西洋的建築手法を学んだ小堀遠州なる人物が、遠近法や黄金比などのキリシタン建築様式を取り入れ奥深い禅宗的世界観を構築したものだとする大胆な結論を述べる。著者30代の時の作品であり、東京芸大大学院で美術研究を専門としながら、古書文献を読みこなす力には脱帽である。
私もちょうどこの3月に龍安寺を訪れたばかりである。確か、入口で貰った石庭のパンフレットの解説には、長い時間目を凝らして見ているとひらめきや悟りを得ると言った禅問答のような言葉が書かれていたように記憶する。しかし、あの石庭は、何やら不思議故にありがたいといった禅の教えとは無関係に、当時の建築技術の粋が込められた庭園建築物として「素直」に見なければならないのであろう。
月別アーカイブ: 2007年7月
『田中正造 たたかいの臨終』
夏の44冊読書計画が出鼻をくじかれすでに破綻気味である。今日からここ数日の遅れを取り返したい。
夏の2冊目
布川了『田中正造 たたかいの臨終』(随想舎 1996)を読む。
足尾銅山鉱毒事件で天皇に直訴をしながらも、農民の生活を先頭に立って守ろうとした政治家田中正造の今際の際を詳細に追いながら、人間田中正造の理念や生き様に迫る。
時間軸が先へ行ったり戻ったりで読みにくい文章であった。死期を悟った田中正造は、床につきながらも、自分個人の葬式なんかより、これからの裁判闘争や農民運動に関心が向かっていた。しかし、田中正造自らが生活と人生を掛けて展開してきた農民運動の当該の者たちは、田中正造個人の健康や病気の進展を心配するばかりで、裁判や運動には無関心である。そうしたギャップに田中正造は病に倒れてから亡くなる1ヵ月の間悩み続けた。
今、私たちが田中正造という名前を知るのは日本史の教科書の中である。そして単に歴史上の人物や出来事として記憶するだけで、公害運動や直接民主主義について考えるわけではない。今こそ田中正造の晩年の言葉を思い返したい。
同情と云ふ事にも二つある。此の田中正造への同情と正造の問題への同情とは分けて見なければならぬ。皆さんのは正造への同情で、問題への同情では無い。問題から言ふ時には此処も適地だ。問題での同情で来て居て下さるのは島田宗三さん一人だ。谷中問題でも然うだ。問題の本当の所の谷中の人達にも解って居ない。
病気問題は片付きましたが、どうも此の日本の打ち壊しと云ふものはヒドいもので、国が四つあっても五つあっても足りる事で無い。
読書三昧の夏休みが。。。
昨日一日一冊を心がけたところであるが、2日目にして挫折してしまった。
今日は仕事の関係で埼玉スーパーアリーナに出掛けたが、その後ふと出会った前任校の教員と飲み会に行ってしまい、読書三昧の夏休みが初っぱなかなら挫折してしまった。明日、今日の読みかけの本も含めて2冊の読書を心がけたい。
『下流社会:新たな階層集団の出現』
昨日で終業式も無事終わり、これから「ほんの少しだけ」時間に余裕のある生活ができそうである。今年は土日含んで9月2日まで夏休みが44日間ある。そこで、2学期に入ってからの小論文指導の準備も兼ねて、今日から44冊の本を読むことを目標とした。新書を多めに、知的好奇心をビンビンに刺激する読書三昧の夏になればよい。
夏の1冊目
三浦展『下流社会:新たな階層集団の出現』(光文社新書 2005)を読む。
マーケティング調査による具体的な数字の表が並び、そこから読み取れる社会的背景や具体的な市場動向が網羅された本で、読むというよりは勉強させられているような雰囲気になってしまう内容である。
私たち団塊ジュニア世代について、著者は「現在30歳前後の世代は、少年期に非常に豊かな消費生活を享受してしまった世代であるため、今後は年を取れば取るほど消費生活の水準が落ちていくという不安が大きい」そのため、「これから結婚して、子どもを産もうという年齢の時に、将来の消費生活の向上が確信できないのだから、階層意識が一気に低下するのもやむをえない」と厳しい論評を展開する。
そしてこの世代は上の世代に比べて自分らしさを重んじる傾向があるが、自己実現感覚をベースに自分らしさを追求する者ほど、未婚者、子どものない者、非正規雇用者の割合が多いという現実を数字でまざまざと証明する。「自分らしさ」「自己能力感」「個性尊重」「夢を追う」といったこれまで疑いようもなかった理念が、実態の数字の上では、下流社会への呼び水になっていたというのでは、80年代〜90年代の教育は一体何だったのかとやるせない気持ちになってしまう。
『新版 放浪記』
林芙美子『新版 放浪記』(新潮文庫 1979)の「第一部」を読む。
「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。」の有名な書き出しで始まる著者の私小説風日記である。
独占資本主義とデモクラシーと欧米庶民文化と貧富の格差が一気にやってきた1920年代において、カフェの女中や女工などをして糊口をしのぎながらも、東京の雑踏の中でたくましく生きていく一人の女性の姿を描き出す。芙美子さんは、明日をも知れぬ最底辺の生活を強いられながらも貧乏を恥じることなく、寸暇を惜しんで本を読み、わずかながらも詩を書き、遠く離れ離れの家族の安寧を願う。社会的体面にかかずらうことなく自分の生き方を貫く女性のバイタリティを感じた。男ならこのように強くは生きられないだろう。
一般に『放浪記」というとプロレタリア文学の範疇に属すると考えられているが、一人の労働者の生活を描くと言う点ではまさに「プロレタリア」文学ではあるが、共産党文学とは別物であり、女性文学の一つと捉えるべきなのであろう。