『田中正造 たたかいの臨終』

夏の44冊読書計画が出鼻をくじかれすでに破綻気味である。今日からここ数日の遅れを取り返したい。

夏の2冊目
布川了『田中正造 たたかいの臨終』(随想舎 1996)を読む。
足尾銅山鉱毒事件で天皇に直訴をしながらも、農民の生活を先頭に立って守ろうとした政治家田中正造の今際の際を詳細に追いながら、人間田中正造の理念や生き様に迫る。
時間軸が先へ行ったり戻ったりで読みにくい文章であった。死期を悟った田中正造は、床につきながらも、自分個人の葬式なんかより、これからの裁判闘争や農民運動に関心が向かっていた。しかし、田中正造自らが生活と人生を掛けて展開してきた農民運動の当該の者たちは、田中正造個人の健康や病気の進展を心配するばかりで、裁判や運動には無関心である。そうしたギャップに田中正造は病に倒れてから亡くなる1ヵ月の間悩み続けた。
今、私たちが田中正造という名前を知るのは日本史の教科書の中である。そして単に歴史上の人物や出来事として記憶するだけで、公害運動や直接民主主義について考えるわけではない。今こそ田中正造の晩年の言葉を思い返したい。

同情と云ふ事にも二つある。此の田中正造への同情と正造の問題への同情とは分けて見なければならぬ。皆さんのは正造への同情で、問題への同情では無い。問題から言ふ時には此処も適地だ。問題での同情で来て居て下さるのは島田宗三さん一人だ。谷中問題でも然うだ。問題の本当の所の谷中の人達にも解って居ない。
病気問題は片付きましたが、どうも此の日本の打ち壊しと云ふものはヒドいもので、国が四つあっても五つあっても足りる事で無い。

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