夏の5冊目
近藤康太郎『朝日新聞記者が書いたアメリカ人「アホ・マヌケ」論』(講談社+α新書 2004)を読む。
国政や外交だけでなく生活のあらゆる物事を、何でも白黒、善悪の二元論で考えようとする単純なアメリカ人を揶揄しながら、実は同じ病に陥っている日本人を嗤うという構成になっている。イラク戦争を心から聖戦と信じ、「正義」「民主主義」という大義名分に思考停止状態に陥ってしまうのが、世界一の強国アメリカの真相である。しかし、著者はまだアメリカには「華氏911」でブッシュ大統領を激烈に批判したマイケルムーアや、反戦を訴えるロックバンドなどの活躍が保障されているだけまだ救いがあると述べる。一方、日本ではそうした批判を受け入れる土壌すらない。。。
アカデミー賞の半年前、日本でも北朝鮮による拉致問題の衝撃が、国中を覆った。新聞、雑誌、テレビが北朝鮮報道で埋め尽くされた。それから半年が過ぎ、イラク戦争が終わっても、その報道洪水は収まらなかった。いわゆる「悦び組」のワイドショー的な暴露や、どうみても検証不能な、あるいは検証作業を最初から放棄しているような、おどろおどろしいトンデモネタがあふれ、軍国おじさんたちの勇ましい放言が、これでもかと垂れ流された。そうして、そうした報道に少しでも異論を差しはさむなら、冷静な対応を呼びかけようものなら、まるで国賊扱いを受けた。北朝鮮シンパだと思われた。拉致を容認しているとさえ非難されかねなかった。戦時下のブッシュと同じように、あるいはそれ以上に、「批判できない聖域」ができあがった。テレビ、新聞、雑誌とも、その聖域には近寄らなかった。脳死状態の自主規制が、メディアを覆った。