日別アーカイブ: 2003年12月31日

『タレント文化人100人斬り』

佐高信『タレント文化人100人斬り』(社会思想社 1998)を読む。
月刊誌「噂の真相」に連載されたコラムをまとめたもので、表題通り、テレビや雑誌に顔を出す西部邁や弘兼憲史、猪瀬直樹などの政治家、評論家を丁寧な分析のもとに切り裂いて行く。特に、「西部のイヤらしさは、自らが保守派という多数の尻馬に乗りながら、少数を気取るところにある」など、頑固一徹を貫く作者は「転向派」には厳しい批判を加える。
また猪瀬氏に対しては「大体、猪瀬のは、『ハラハラ止まり』で、私は田中康夫のように、圧力によって連載を打ち切りになったことはないだろう。その程度の『安全な』ものかきなのだ」と述べる。そして(天皇制を批判的に扱った猪瀬著『ミカドの肖像』に対して)「皇居のまわりをジョギングしたようなもの」と厳しい。猪瀬氏は先日道路関係四公団民営化推進委員会にて、反「道路族」を槍玉にあげたが、すったもんだした挙げ句、結局は自民党寄りの答申をまとめた人物だ。佐高氏は猪瀬氏のそのような傍観者的体質を予見していたのだろうか。

本論とはずれるが、岩波の『世界』の創刊についての話が興味深かった。戦争末期、武者小路実篤や志賀直哉や安倍能成を中心に戦争を終わらせるための会合を開いていたところ、憲兵に盗聴されみなびくついてしまった中で、志賀は憤慨して「われわれの息子たちが自分の責任でもない戦争に引き出されて命を犠牲にしているのに、われわれのような年寄りが、身の危険を案じてこんな会合さえやめようと言うのか。それでは余りにも不甲斐がなさすぎるじゃないか」と言ったという。そしてそのグループが中心になって、戦後『世界』が創刊されたのだが、志賀は年寄りばかりではダメだからとグループに共産党の中野重治や宮本百合子を加えるも提案したとか。大正期の白樺派の印象が強い志賀であるが、少し見方が変わった。