斎藤次郎『手塚治虫がねがったこと』(岩波ジュニア新書1989)を読む。
『ジャングル大帝』や『三つ目がとおる』、『火の鳥』などを中学生にも分かりやすく解読している。全作品を通じて、戦争や環境破壊に対する断固たる「否」そして、生命へのつきとおせぬいとおしみに、手塚漫画の核心があるとの結論であるが、論旨も分かりやすく私も頷く箇所が多かった。
1974年に『少年キング』に連載された『紙の砦』の中で、1945年当時の軍需工場での場面で、手塚自身の分身である大寒鉄郎の次のような会話がある。
「大寒さんもこの工場で働いているの?」
「京子ちゃんもかい? こりゃグーゼンだね」
「あたし倉庫部なの。……音楽学校に入ったのに、こんなことやらされるなんてひどいわァ……。だから、お昼休みのコーラスだけがたのしいわ」
「ぼくは旋盤工場さ……。でも、サボってかげでマンガばかりかいているけどね」
「あいかわらずかいてるの?」
「ぼくにマンガかくなっていわれたら首つるよ。戦争が終わったら、自由にマンガかけるようになるんだろうね。ぼくはマンガ家になるよ!」
「あたしはオペラ歌手になるわ」
ちょうど昨年見た「戦場のピアニスト」の映画のように、マンガを描くということにこだわる姿勢を見せつけることで、戦争という状況に抵抗している手塚の姿が垣間見える。中野重治の『村の家』で描かれた勉治の「やはり書いていきたいです」