猪瀬直樹『天皇の影法師』(新潮文庫1983)を読む。
大正天皇が亡くなってから新しい「昭和」の元号が生まれてくるまでのドラマを克明に追ったノンフィクションである。一説によると大正天皇死去すぐに、東京日日新聞社(現毎日新聞社)が「光文」といち早く報じてしまったために、漏洩という事実を隠すために元号を変えたということだが、真相は闇の中らしい。
猪瀬氏は鴎外が死の直前まで元号に情熱を傾けて取り組んでいたことに着目している。私にとって鴎外と元号とは少々意外な組み合わせである。しかし鴎外は晩年『混沌』という作品のなかで次のように述べている。
今の時代では何事にも、Authorityと云ふやうなものが亡くなった。古い物を糊張にして維持しようと思つても駄目である。Authorityを無理に弁護してをつても駄目である。或る物は崩れて行く。色々の物が崩れてゆく。
鴎外は「万世一系」が虚構にすぎないことを知っていた。しかし鴎外は『青年』で展開した「利他的個人主義」という自立した個人が生きて行くための共同体を形成していくには、封建的な社会ではなく、近代的国家という枠組みを作って行かねばならないと考えていた。そして国家という形式を支えるためには諸制度・諸法規とともに、共同的存在の証のための「神話」が必要である。鴎外は国家を機能として捉え、自分自身は信じていない天皇制国家を個人の自立の母体として機能させようとした。そのために元号すらきちんと整備されていない国家を形式において”完成”させようと死の間際まで苦闘したのであった。