月別アーカイブ: 2003年8月

『21世紀 知の挑戦』

立花隆『21世紀 知の挑戦』(文芸春秋社 2000)を読む。
衝撃的な一冊だった。身体中目玉だらけになったショウジョウバエや人間の耳を背中につけた生きたマウスの話は想像するだけでも背筋が凍る。TBSテレビで放映された「ヒトの旅,ヒトへの旅」という番組のmaking ofとなっている。
とりわけDNAを中心とした生命科学にページの大半を割いている。私たち市井の民にとって遺伝子というと「遺伝子組み換え食品」といった「いかがわしい」イメージのつきまとう言葉しか浮かんでこないが,そもそも「性」がある生物が子孫を作るときには必ず遺伝子の組み換えが行われるのである。そして「性」がない生物の場合は,子孫はクローンとして作られる。つまり子孫作りをするには,クローンで行くか,遺伝子組み換えで行くか2つしかないのである。

ハーバードでもMITでもカルテック(カリフォルニア工科大学)でもアメリカのトップランクの大学では,全学生に分子生物学と細胞生物学を必修として義務づけている。そしてDNA解析の先端研究の大半がアメリカの製薬企業によって独占され,特許が申請されている現状はよく知られている。最近の研究では,ある条件の下では二酸化炭素と水素から石油を作り出す「HD-1」という微生物が発見されたり,ガン抑制遺伝子の一つである「P53遺伝子」を直接腫瘍部に注射で打ち込んだりといったところまで進んでいる。さらに遺伝子治療に「HIVベクター(エイズウィルス)」を用いる「毒に毒をもって制す」実験まで行われている。

原生生物はすべて細胞一つ一つの核の中に,DNAという形で巨大情報データベースを持ち,エネルギー産出システムを受け持つミトコンドリアという細胞内小器官を持っている。そして生命を遺伝子を視点に情報系として捉えた時,生物は巨大なスーパーファミリーとなる。そして,人間を含むあらゆる動植物はエントロピーの増大の系の中に,エントロピーの減少系を作るという形でなされている以上,人間のあらゆる価値判断も地球・社会にとって,ヒトという種にとって,生命界全体にとって,自然界全体にとって良いことかどうかという視点で捉えていくことが求められると結論づける。

分子生物学の背景に巨大産業,国家が蠢いている姿は,グローバリズムの爆発的拡張の動きと相俟って,嫌が上でも無気味な近未来の姿を彷佛させる。

鹿児島旅行

鹿児島へ旅行に出かけた。台風10号の影響で雨の中,霧島や城山,天文館などを散策した。

知覧にある知覧特攻平和会館に出かけた。神風特攻隊として沖縄特攻の犠牲者となった1036人の隊員の遺影や遺品,記録等を収集・保存してある施設である。特に「疾風」や「飛燕」といった零戦の展示が迫力あった。しかしコックピットの設備はあまりにお粗末であり,これで何百キロのスピードで高度何千メートルの空を飛ぶこと自体が自殺行為だと思った。
またこの施設の開設理由について「特攻隊員たちの崇高な犠牲によって生かされ国は繁栄の道を進み,今日の平和日本があることに感謝し,特攻隊員のご遺徳を静かに回顧しながら,再び日本に特攻隊をつくってはならないという情念」を記念するためであると述べている。若い青年の死という「美しい」もの讃えんとするがあまり,その犠牲となった人々や戦争責任の所在については全く触れられていない。ただ戦争の犠牲になった1036人の「勇士」の「英霊」のみを祀る施設である。

鹿児島というと霧島桜島だろうと,雨の中,霧島にあるえびの高原までドライブした。台風の影響で観光客は皆無であった。勿論私もクルマから一歩も出なかった。途中霧島神宮へ寄ってみた。天照大神の孫にあたる迩迩芸命(ににぎのみこと)に縁の深い神社ということで「教育勅語」が飾ってある時代錯誤な神社である。思えば「教育勅語」に繋がる教育行政を作った初代文部大臣森有礼も鹿児島出身である。土岐昌訓『神々と祭り』(神道青年全国協議会1983)を社務所で買った。ごっちゃになっていた八幡や天神,稲荷,日吉,熊野といった神社の区分について少し整理することができた。

最終日に市内にある維新ふるさと館に出かけた。鹿児島出身の西郷隆盛,大久保利通らを中心に維新前後の西南戦争や戊辰戦争を紹介する維新体感ホールが面白かった。大久保利通しかり,大山巌や東郷平八郎など明治政府の閣僚に薩摩出身が多いことを改めて実感した。しかし中心の西郷隆盛がどのような政治を目指したのか見えてこなかった。乱暴な征韓論を唱えた人情派政治家というのが一般の評価であろうが,その足跡をつぶさに見ても彼の描く近代日本のありようがどのようなものであったのか,彼が天皇制をどのように見ていたのか,謎であるが,謎は謎のまま残す方が英雄のイメージが崩れなくてよいのであろうか。

『情報デザイン入門』

渡辺保史『情報デザイン入門:インターネット時代の表現術』(平凡社新書 2001)を読む。
「情報」というものはこれまで出版物やデジタルコンテンツのような「メディアの中で表現される情報」として,そこにどんな情報をどのように入れ込んでいくかといった点のみが注目されてきた。しかし情報とは,元来人がこの世界の中で他者とコミュニケーションしたり環境やモノと関わったりしているような複雑で多様な経験に依拠するものである。これから求められる情報デザインという新しい学問が狙うところはそうした環境と身体が関わりあう「コト」のデザインである。著者は以上のような情報に対する観点から,マウスやキーボードに代わる新たなインターフェイスの提案や,大学,公民館といった「ノード(結節点)」を中心とした「地域ポータルソリューション」の形成を目指している。

『結婚しません。』

遥洋子『結婚しません。』(講談社 2000)を読む。
『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』の著者であり,マルクス主義フェミニズムの立場から家父長制と資本制によって女性を縛り付ける家族制度について疑義を挟む。
前作が上野千鶴子さんによって「東大幻想を強化してしまった」との評価を与えられたことから,一転して一人の娘の立場から母親,義姉を取り巻く「家族の愛が一番」といった主婦イデオロギーの構造を暴こうとする。
ロランバルトの「あることが知られるためには,それが言わなければならぬのだ。そして,ひとたびそれが言われたならば,たとえ一時的にしろ,それが真実なのである」(『恋愛のディスクール・断章』)という言葉を引用しながら,「家族」,「良妻賢母」,「愛」が極めて国家的な男性による女性支配戦略のベクトル上に作られたものであると断言する。男と女の依拠する立場を,仕事か家庭かと単純な2つのモデルでのみ語っている点が気になったが,得てして大上段に構えがちなフェミニズムを生活の中から論じようとする試みは評価できるであろう。

『火車』

宮部みゆき『火車』(新潮文庫 1998)を読む。
1993年に第6回山本周五郎賞に輝いた作品である。10年経った今でも、カード社会の闇に斬り込んでいく展開は今もって色褪せていない。高度消費社会の象徴のような無機質なクレジットカードの世界であっても、その背後には、どろどろした人間の情慾がうごめいている。借金苦に全く別人になりすました渦中の登場人物が全く登場しないまま、その人物の過去半生や心中に迫っていく内容は大変読みごたえがあった。