鹿児島旅行

鹿児島へ旅行に出かけた。台風10号の影響で雨の中,霧島や城山,天文館などを散策した。

知覧にある知覧特攻平和会館に出かけた。神風特攻隊として沖縄特攻の犠牲者となった1036人の隊員の遺影や遺品,記録等を収集・保存してある施設である。特に「疾風」や「飛燕」といった零戦の展示が迫力あった。しかしコックピットの設備はあまりにお粗末であり,これで何百キロのスピードで高度何千メートルの空を飛ぶこと自体が自殺行為だと思った。
またこの施設の開設理由について「特攻隊員たちの崇高な犠牲によって生かされ国は繁栄の道を進み,今日の平和日本があることに感謝し,特攻隊員のご遺徳を静かに回顧しながら,再び日本に特攻隊をつくってはならないという情念」を記念するためであると述べている。若い青年の死という「美しい」もの讃えんとするがあまり,その犠牲となった人々や戦争責任の所在については全く触れられていない。ただ戦争の犠牲になった1036人の「勇士」の「英霊」のみを祀る施設である。

鹿児島というと霧島桜島だろうと,雨の中,霧島にあるえびの高原までドライブした。台風の影響で観光客は皆無であった。勿論私もクルマから一歩も出なかった。途中霧島神宮へ寄ってみた。天照大神の孫にあたる迩迩芸命(ににぎのみこと)に縁の深い神社ということで「教育勅語」が飾ってある時代錯誤な神社である。思えば「教育勅語」に繋がる教育行政を作った初代文部大臣森有礼も鹿児島出身である。土岐昌訓『神々と祭り』(神道青年全国協議会1983)を社務所で買った。ごっちゃになっていた八幡や天神,稲荷,日吉,熊野といった神社の区分について少し整理することができた。

最終日に市内にある維新ふるさと館に出かけた。鹿児島出身の西郷隆盛,大久保利通らを中心に維新前後の西南戦争や戊辰戦争を紹介する維新体感ホールが面白かった。大久保利通しかり,大山巌や東郷平八郎など明治政府の閣僚に薩摩出身が多いことを改めて実感した。しかし中心の西郷隆盛がどのような政治を目指したのか見えてこなかった。乱暴な征韓論を唱えた人情派政治家というのが一般の評価であろうが,その足跡をつぶさに見ても彼の描く近代日本のありようがどのようなものであったのか,彼が天皇制をどのように見ていたのか,謎であるが,謎は謎のまま残す方が英雄のイメージが崩れなくてよいのであろうか。

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