読書」カテゴリーアーカイブ

『ダイヤモンド・ダスト』

第100回芥川賞受賞作、南木佳士『ダイヤモンド・ダスト』(文藝春秋 1989)を読む。
表題作の他、「文學界」などに掲載された、『冬への順応』『長い影』『ワカサギを釣る』の3編も収められている。
どの作品も信州佐久平に住む医師もしくは看護師という設定で、海外での勤務を経て信州に居を構えるのだが、心の奥はいつまでも定住することができず、過去へ過去へと彷徨ってしまうという内容である。実際の作者の経歴に酷似しており、小説というよりも、自伝的小説やエッセーとといったような趣である。
医者も悩む人間だというメッセージを発しているのだが、一方で医者は凡人とは異なる特別な存在であるといったメッセージも感じてしまう。

『1973年のピンボール』

村上春樹『1973年のピンボール』(講談社文庫 1983)を読む。
1980年3月の『群像』に掲載された「僕」と「鼠」の青春小説である。
前作の『風の歌を聴け』の内容を全く覚えていなかったので、状況が読み込めないまま読み進めていった。
等身大の作者と思わしき人物が出てくる「私小説」と読むこともできるし、全く架空の世界が現実と交錯するバーチャルリアリティを模した小説と読むこともできる。
機会があれば、前作から続けて読み直してみたいと思う。

『Kindleショック』

境真良『Kindleショック:インタークラウド時代の夜明け』(ソフトバンク新書 2010)を読む。
これまでのインターネットというユニバーサルサービスは、爆発的な情報の流通を可能としてきたが、ブラウザ上の情報は無料という「常識」までも流通してしまい、著作権ビジネスモデルの構築が難しくなっている。
そこで、著者は、「iTunes-ipod」や「imode」といった、クラウド上の情報とそれを独占的に活用できるデバイスによる閉鎖的なサービスに活路を見出している。その点で、Amazonの「Kindle」は出版社との契約も含め、将来性があると述べる。

『Girl25』

ひうらさとる『Girl25』(講談社MOOK 2009)をパラパラと読む。
およそ40近いおじさんが手にするタイプの本ではなかった。
4年制大学を卒業して3年目、25歳は女性にとって「仕事・恋愛・カラダ」の「分岐点」であると、25人の20代半ばの女性の等身大の姿を、漫画とエッセーの二本立てで描く。
仕事だけというのは「ダサイ」、仕事も恋愛も美も、そして結婚も全てを手にしようとする若い女性の人生観が伝わってきた。

『早稲田はいかに人を育てるか:「5万人の個性」に火をつけろ』

白井克彦『早稲田はいかに人を育てるか:「5万人の個性」に火をつけろ』(PHP新書 2007)を読む。
 先日、受講した駿台の講習の中で、数年前に早大総長が入試における古文のあり方について触れた本を出版したという話を聞いて手に取ってみた。しかし、残念ながら本書では入試の話については全く触れられていなかった。

 執筆当時、早稲田大学総長を務めていた著者が、在任5年間の間に実現させてきた大学改革の成果を大々的にアピールする内容となっている。
早稲田大学では、大学設置基準大綱化以降の1990年代に主に大学院改革が実施され、大学院の位置づけの整備や新しい独立大学院の設置などが行われてきた。そして、受験生が減少が著しい2000年以降は、主に学部教育の改革が実施されてきている。その改革の目玉は、学部の垣根を越えた「テーマカレッジ」や、4人制の英会話ゼミの「チュートリアル・イングリッシュ」、そして、新入生共通の「コンピュータ教育」などである。どれも、90年代までのつまらないマスプロ教育や守旧的な講義内容の反省に立ったものである。

 他に、海外への留学、また海外からの留学生の増加や、学部・大学院の設置、MBAの拡充、理工系の共同研究、さらには日本語ができない子どもへの教育など、その取り組み内容を読んでいると、一つの大学の範疇を大きく越え、県や政令指定都市の首長の著者を読んでいるような感覚に陥ってくる。