黒部進『ハヤタとして、父として』(扶桑社 1998)を読む。
初代ウルトラマンのハヤタ隊員役を演じ、その後も悪役俳優として活躍している著者が、ウルトラマンの撮影裏話から、家族5人での手作りアフリカ旅行、そして、あるべき学校教育・家庭教育の形について自由に語る。
ちょうど息子二人がウルトラマンにはまっていることもあり、バルタン星人の「リニューアル」やカラータイマーの謎、「シュワッチ」の掛け声の誕生秘話など、楽しく読むことができた。いささか凡庸な教育のくだりは余計だったか。
「読書」カテゴリーアーカイブ
『男は一生、好きなことをやれ!』
里中李生『男は一生、好きなことをやれ!』(三笠書房 2014)を読む。
タイトルの妙に惹かれて手に取ってみた。
「女に財布をあずけるな」「好きな仕事でしか得られない『快楽』がある」「男は一生『現役』でいろ」「人生はすべて『自己責任』である」など、保守的、男根主義的な考えが延々と繰り返される。作家伊集院静氏に傾倒しているのか、ハードボイルドな男性像にこだわった物言いが特徴的であった。
『ローマは一日にして成らず[上]』
塩野七生『ローマは一日にして成らず[上]:ローマ人の物語1』(新潮文庫 1992)を読む。
昨日ギリシャ・ミケーネ文明についての本を読んだので、次はローマだろうということで手に取ってみた。
全15冊の『ローマ人の物語』シリーズの第1巻の文庫本である。
トロイ落城の惨劇から脱出したアエネアス一行が流れ着いたとされる紀元前13世紀から、ロムルスによる建国を経て、紀元前5世紀半ばまでのローマ人の建国の奮闘と、クレタ文明からペロポンネソス戦争前夜までのギリシャの歴史が読みやすい文体で描かれる。
歴史家ディオニソスの著作[古ローマ史』の中で次のように定義づけていたそうだ。妙に印象に残ったので引用してみたい。
人間の行動の正し手を、
宗教に求めたユダヤ人
哲学に求めたギリシア人。
法律に求めたローマ人。
この一事だけでも、これら三民族の特質が浮かび上がってくるぐらいである。
『古代への情熱』
シュリーマン・関楠生訳『古代への情熱:シュリーマン自伝』(新潮文庫 1977)を20数年ぶりに読み返す。
西洋史の勉強の手始めに手に取ってみた。
奥付を見ると1989年に刷られているので、高校時代に買った文庫本そのものである。
20数年前に読んだ時は、『インディ・ジョーンズ』のノベライズのような内容を期待していたのだが、あまりに淡々とした文体に肩透かしを食らったような印象が残った。今回もさほど内容についての印象は変わらないが、40代半ばまでを事業と勉強に費やし40代後半になってから子どもの頃の夢を追い始めるシュリーマンの生き方への憧れと、ほぼ同じ年齢になったことによるシュリーマンへの親しみを感じた。空想の都市だと考えられていたミューケナイやトロイアを探し求めようとするシュリーマンの姿から、中年になってから新しいことにチャレンジするエネルギーを貰った気がする。
余談だが、私は高校を卒業してから合計で9回の引っ越しを経験している。その度に本は全て運んでいるので、この『古代〜』は、10回近く段ボールに詰められては本棚に戻されるという体験をしているのだ。私自身高校時代は歴史に興味があり、高3の現役の時には史学科を受験している。その後浪人している間に歴史の用語の暗記ばかりの勉強に飽きがきてしまったのか、史学科志望から文学科志望に変更している。
しかし、その文学への道も大学1年から数えれば20年近い年月が流れている。今年、改めて地理歴史の勉強を始めるに当たって、考古学者を夢見ていた頃に読んだ本が、20数年経ってもう一度本棚の奥から「発掘」されるというのは、何かしらの運命めいたものを感じざるを得ない。
『水を知ろう』
荒田洋治『水を知ろう』(岩波ジュニア新書 2001)を読む。
冒頭、液体の水よりも固体の氷の方が密度が小さく、体積が大きいという点から、水の不思議に迫っていく。読みやすい文体なのだが、分子構造のモデル図から、水の分子の特性を説明するという内容なので、結局半分以上読み流すことになった。
それでも、H2Oの密度は摂氏0度以下ではなく、4度で最大になるとか、自ら氷になる際には”芯”になるものが必要なので、人口降雨にはヨウ化銀(AgI)が有効だとか、温度が低いほど、水は表面張力が大きくなってしまうので、洗濯の時は水温を高くしたり、表面張力を低下させる「界面活性剤」を加えたりするといった、「なるほどおぉ」と頷いてしまう話が多かった。
最後の章立てで、著者は水よりも沸点が高く、粘度が通常の水に比べて1桁以上も高く、密度が1.4g/㎤にも達する性質を持つ「ポリウォーター」なる代物が結局は真っ赤な偽物であったという事件に触れて、次のように述べる。小保方さんの「STAP細胞」の真偽で揺れる現在においても示唆的な内容である。
10年あまりの間、世界の学会を騒がせ続けたあと、この世から忽然と消えたポリウォーターは、多くの教訓をあとに残しました。新しい発見には、つねに客観的な検証が必要です。「どこで、誰が実験しても」その結果が「再現」できなければなりません。化学的な分析結果が必要ですが、それには、それぞれの時代に得られる分析技術を用いるに耐える十分な実験材料の量が求められます。ポリウォーターの場合には、不幸なことに、その条件がみたされていませんでした。その結果、化学的な裏付けがないまま、頭だけで考えた理屈が先行し、どんどん膨らんでいったのです。
(中略)科学は、つねに新しいものを目指して進歩しなければなりません。しかし、そのためには、しっかりした足場を固めつつ進むことが必要です。少なくとも、科学を考える場合には、最終的には自分の頭で納得できるかどうかがかぎです。たとえどんなに高名な先生の意見であっても、ただそのことに惑わされてはなりません。
