読書」カテゴリーアーカイブ

『ゼロからのスポーツ自転車 発見!快適の手ごたえ』

快適自転車研究会編『ゼロからのスポーツ自転車 発見!快適の手ごたえ』(学習研究社 2003)を読む。
今年前半に散々っぱら読んだ類のスポーツ自転車の入門書である。自転車選びから、快適に乗りこなすコツ、ワンディ・ライドの魅力、心拍数を考慮した自転車ダイエットなどが、イラスト入りで分かりやすく語られる。

特に自転車ダイエットの章は分かりやすかった。かいつまんでまとめると、どんなスポーツであろうと、心拍数120を中心に、(200−年齢)から(安静時の1.5倍)までの幅で運動強度を調整していくことが大切である。また、心拍数を上げると運動した気になるのは錯覚であリ、単に乳酸が溜まるだけで、筋肉中のグリコーゲンを消費するだけで、体脂肪はほとんど減らない。基本は心拍数120で20分以上を週4回、可能であれば週末に1〜2時間程度のライドが良いそうだ。空腹時の方が体脂肪が燃えるため、朝食前のライドが効果的である。また、ケイデンスは80〜100が一番体脂肪が燃えるとのこと。

ワンデイ・ライドの達人であるクボタタケオさんは次のように語る。

 新しい道を走れば、楽しい発見の連続ですよ。他人にお膳立てしてもらってセッティングされたものをトレースするのが多い日常生活の中で、なぜ自転車が楽しいかというと、走る道の中に新しいことを次々と見つけられるから。寄り道して、その土地の風景や人間に出会うのは本当に楽しいですね。スタートとゴールがあっても、それを最短距離で走るより、道草して迷いながらそこで見えてくるものが興味深いんです。それを楽しいと感じることができれば、間違いなくワンデイ・ライドにハマっていきますね。

『ニュースの職人』

鳥越俊太郎『ニュースの職人―「真実」をどう伝えるか』(PHP新書 2001)を読む。
新聞、週刊誌、テレビと渡り歩いた著者が、どのような媒体であっても事件の裏に潜む「真実」を求め、ヤラセや脚色を避けて「誠実」に伝えるジャーナリストしての使命を語る。
「イエスの方舟事件」や「松本サリン事件」など、一斉報道により冤罪や報道被害を生みがちな雪崩現象を、ジャーナリズムの世界では「スタンピード現象」と呼ぶそうだ。鳥越氏は、赤狩りとして有名な「マッカーシズム」も過熱したマスコミが作り出した報道被害であると述べる。一方、扇動の中心者であったマッカーシー議員のインチキぶりを暴き、マッカーシズムを収束させたのも報道の側の人間であった。そのCBSのアンカーのエドワード・マローの言葉を孫引きしてみたい。

 マッカーシーはまさにマスコミが作り出したものだ。彼の言葉を全国にばらまいたのはマスコミだ。デマと知りつつ、彼が言ったことはニュースだとの立場から報道を続けた。反対の立場を明確にしなかったテレビ、ラジオ、新聞、雑誌はみなマッカーシーに手を貸した。アメリカ国民に対してだけでなく、自己の誇りを汚したことに対しても彼らは責任を負うべきだ

鳥越氏はこのエドワード・マローの言葉を「報道に関わる者への警告」だとし、ジャーナリズムは社会正義の実現に努めるべきだとまとめる。

今日の新聞を見ていても、共謀罪や、南シナ海への自衛隊派遣、テレビ局に対する自民党の圧力など、きな臭いニュースが目白押しである。テレビや新聞を通じてニュースに接する私たちの目の確かさも問われている。

『老後がこわい』

香山リカ『老後がこわい』(講談社現代新書 2006)を読む。
精神科医を営みながら、新聞、雑誌などの各メディアで社会批評、文化批評、書評など幅広く活躍している著者が、タイトル通り老後の不安の本音を暴露している。老後は男女や家族の有無問わず不安なものであるが、本書では仕事をしているシングル女性の視点に絞って、住宅や年金、介護、孤独死などについて語っている。著者の香山さんの普段の強気な文章とは違い、親の死に目やペットロスに耐えられない自信の心の弱さが綴られ、興味深かった。他にも介護施設や精神的喪失の分析など、専門的な見地から語られる話もあった。しかし、家族持ちの中年男性の自分とは異なる視点であったので、たいした感想も持たずにさらっと読み終えてしまった。

『身体と心が生まれ変わる!呼吸法』

原久子『身体と心が生まれ変わる!呼吸法』(宝島社新書 2002)を読む。
医学的・科学的見地からの呼吸法について知りたいと思い手に取ってみた。だが、実際は著者の主張する呼吸法によって心身の不調が解決し、自分の生き方や将来に前向きになれるという自己啓発を主眼とした内容の本だった。呼吸を変えれば胃痛や頭痛だけでなく、腰痛や冷え性、視力低下まで治るとされているが、「鰯の頭も信心から」であろう。
ただし、深く呼吸をする方法として上半身全体を投げ出す「五体投地」の呼吸法は参考になった。早速試してみたい。

『沖縄 平和の礎』

ootamasahide

大田昌秀『沖縄 平和の礎』(岩波新書 1996)を読む。
恥ずかしながら、随分長い間本棚に眠っていた本である。琉球大学の退官から沖縄県知事時代の講演会の記録である。繰り返し、沖縄戦争における実体験や、琉球の戦前戦後の歴史が語られ、そして、基地問題の実態や代理署名における苦悩、2015年を目処にした基地の整理・縮小を目指す計画などが語られる。

 戦後沖縄の問題について考えるたびに、私は日本本土の問題と対比的に考えずにはおれません。というのは他でもなく、ある意味では、沖縄の幸、不幸というのは沖縄の人々によってもたらされたというより、多くの場合、日本本土の政治や経済ひいては教育、文化のありようによって生じたといって良いからです。それだけに、本土在住の一般国民が沖縄問題をどう認識し、どのように関わるかによってもらに左右されてしまうのです。勢い、沖縄問題に取り組むと半ば否応も無しに、いったい「日本にとって沖縄とは何か」とか、ぎゃくに「沖縄にとって日本とは何か」と反問せざるをえなくなります。

さらに、大田氏は次のように述べる。

 これまで私は沖縄を訪れる政府首脳や政党のリーダーたちに、繰り返しその主旨のことを申しあげてきました。それは誇張ではなく、沖縄問題への対応のありようは、文字通り日本の民主主義の成熟の度合いを推し量る一つのメルクマールになると思うからです。こうした点を、全国民的な問題として大いに議論してほしいものです。

さらに、大田氏は、平和への取り組みについて、平和学者のヨハン・ガルトゥング教授の問題提起を紹介している。かなり長いが、内容も文章も分かりやすいので引用してみたい。

 ガルトゥング教授は平和を実現するため、3つのPが必要だと述べています。第一にPeace Movement(平和運動)、第二にPeace research(平和研究)、第三にPolitical party(政党)の3つであります。これらが三位一体となって平和の創造に取り組むのでなければ、人々が期待するような平和は成り立たないと説いているのです。
彼は、またこれら三つの中でとりわけ中心となる平和運動の今日的な特徴は、二つに分けることができるとも述べています。
第一の平和運動はissue movement、つまり、今日人々が直面している時々刻々における問題を対象とし、それに取り組む平和運動のことです。たてエバ、最近、県民は種々の理由から米軍地位協定の見直しについて協力し合って真剣に取り組んでいます。このような運動こそがissue movementというわけです。
もう一つは、個別的な時事問題を対象にして起こる運動ではなく、もっと根源的な平和運動です。つまり、戦争を廃絶しようという、最も重要な基本的問題を対象に取り組まれる運動のことであります。戦争を廃絶すると言えば、そんなことは、この人間世界ではありえないことだとつい考えてしまいます。そのため、実際にはユートピア的とか、気違い沙汰だと馬鹿にされがちです。しかし人類の歴史を振りかえってみると、奴隷制度の廃止とか、植民地の廃棄などということは、ある時代においてはそれこそユートピア的思想であったにもかかわらず、今日ではすでに実現しているのも少なくないのです。最近のアフリカの状態などを見ても、人間が人間を奴隷的に支配することは、もはや許されない状態になっています。植民地支配の廃絶にしても全く同じで、この問題もかつては戦争を廃絶する課題と同様に、「植民地が廃絶されるものか」というのが一般的な考え方でした。しかし、今ではそれらの課題は見事に克服されています。
ガルトゥング教授によると、一つの国や社会で軍事化が進むと、それはまるで癌細胞のように国の経済や文化、政治に至るま全ての分野をむしばんでいく危険があります。その上、軍事化が進むと経済成長が圧迫され、文化も全体的に軍事化され、さらには他国の文化や異民族に対して憎悪を植え付け、仮想敵国としてのイメージを培っていく傾向にならざるをえないというわけです。あまつさえ、国際政治においては、国家機密を保護するという名目で政府に反対する声は押しつぶされ、個人個人の権利も国益と国の安全の名において押しつぶされてしまいます。

何十年も前の文章なのだが、後半はここ数年の日本の政治状況を予見したかのような内容となっている。大田氏は知事時代に2015年を目処に計画的かつ段階的に米軍基地の返還を求める「基地返還アクションプラン」を作成し、21世紀の沖縄を方向づける「国際平和都市形成構想」を策定しているが、その最終年である今年になっても、普天間基地の返還は進まず、辺野古の基地整備だけが進んでいる。

本日の東京新聞朝刊に、安全保障関連法に反対する学生グループ「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」が昨日、東京・新宿、名古屋、辺野古の3カ所でデモを行ったとの記事が掲載されていた。学生の一人は「自分が沖縄基地の負担を強いる立場だったことに、悲しいほど無自覚だった。もう見て見ぬふりはできない」と決意を述べている。こうした若い世代を見習い、大田氏の思いを受け止める真の民主主義をそれぞれの立場の中で作っていかねばならない。