文・立松和平、写真・山城寿美雄『立松和平の実りの旅』(PHP研究所 1993)を読む。
著者曰く、「一癖も二癖もある」日本各地の作物、神奈川の落花生、熊本の蓮根、群馬の蒟蒻、徳島の筍、静岡の苺、沖縄の南瓜、宮崎の日向夏、山梨の桜桃、鳥取の辣韮、栃木の干瓢、北海道の玉蜀黍、青森の林檎の収穫の様子が写真で紹介されている。
立松和平のブランドを借りたような内容で、文章はほとんどなく、日本各地の観光地も含めた写真がメインとなっている。
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『ことばの歴史学』
小林千草『ことばの歴史学』(丸善ライブラリー 1998)をパラパラと読む。
著者の小林さんは成城大学や東海大学で教鞭をとった国語学者で、Wikipediaによると昨年鬼籍に入られている。中世の言語生活史を専門としており、係り結びの法則や二段活用、完了の助動詞などが、鎌倉・室町時代にどのような過程で崩れていったのか、例文を用いて詳細に説明している。副助詞の「だに」「すら」「さへ」の用法の変化や、格助詞「にて」が現代語の「で」になった音韻論的な考察など興味深い話もあった。
疲れが出てしまったのか、本を手にしたまま、風呂の中で船をこいでしまった。
『ノッポさんのドクトルふくろうの処方箋』
高見映『ノッポさんのドクトルふくろうの処方箋』(丸善メイツ 1992)をパラパラと読む。
吉田戦車さんがイラストを描いており、大人向け絵本のような体裁をとりつつ、寓話とも箴言とも違う、訳の分からない話が続く。全くとっかかりのない内容であった。
「チャイニーズドリーム in『赤いワイキキ』」
『わが青春のサッカー』
堀江忠男『わが青春のサッカー』(岩波ジュニア新書 1980)を読む。
あまり興味もなかったが、あまりに突拍子も無い話が続くので、最後までついページを繰ることになった。著者は1936年に早稲田大学を卒業。同年8月に行われたベルリンオリンピックに日本サッカーチームの一員として参加している。その後、朝日新聞に入社後、早稲田大学政治経済学の講師となっている。講師を務めがなら、大学サッカー部の監督にも就任している。57年に同教授となってもサッカー部の監督を務め、釜本邦茂や西野朗、岡田武史らを育てている。
1936年のベルリンオリンピックは前年に東西学生対抗戦を制した早稲田大学を中心にメンバーが選ばれたとのこと。
また、イギリスのサッカー協会は1863年、明治維新の5年前に成立している。日本サッカー協会は英語でJapan Football Association(JFA)となるが、英国サッカー協会だけは国名が冠されずに、The Football Associationと呼ばれる。そのため、サッカーのことを別名「ア式蹴球」とも呼ばれる由来となった。
著者が2度目のサッカー部監督を依頼された際の心のうちが面白かった。いったいいつの時代だ!
革マルなど例のゲバ棒をふりまわす学生との団交の矢おもてに何度も立たされた。それが下火になったあとは、学内の改革を検討する「大学問題研究会」の責任者になって、それに全力をそそいだ。だが、1971年にはそれも一段落して、久しぶりに気楽な立場にもどっていた。


