投稿者「heavysnow」のアーカイブ

『爆笑問題の日本原論』

爆笑問題『爆笑問題の日本原論』(宝島社)を、先週風邪を引いて寝込んでいた際に、ベッドの中で読んだ。
政治・社会的な問題をネタにする際も、彼らは当該の事物・人物を茶化しつつも、変に冷めた外野的なスタンスをとっていないので読んでいて素直に笑える。扁桃腺が腫れて大変だったのに、読みながら布団の中でもだえてしまった(笑)。

太田:結局、あの牛は脳がスポンジ状態になってて、狂っちゃってるんだよな。
田中:もし、感染した牛肉を食べて人間もあんなふうに狂っちゃうとしたら、恐くて牛肉が食べられなくなるよね。
太田:牛肉さえ食べなきゃいいと思ったら大間違いだぜ。……その狂牛病の牛を食べた人間を食べても狂っちゃうんだから。
田中:そんな奴がいたら、そいつは、最初から狂ってるよ!

太田:(ノーベル賞について)どうせだったら、レコード大賞みたいに武道館かなんかで客入れて、みんなの前で発表すればもっと盛り上がるのにねえ。
田中:盛り上がらねえよ、そんな安っぽい賞じゃないんだから!
太田:今年の平和賞のPLOのアラファト議長あたりは、名前呼ばれて自分にスポットが当たっているにもかかわらず、「えっ?」てな顔して、すっトボケてまわりの人を見回しちゃったりして……。
田中:何なんだよそれは!
太田:で、その隣には、受賞できなかった池田大作先生が唇噛みしめて真っ赤な顔で立ってたりして。
田中:やめろお!

『インターネット近未来講座』

先日読んだ本の感想をちょっと。

村井純・坂本龍一・成毛真・佐伯達之『インターネット近未来講座 (GIGABIT SOCIETY)』(アスキー出版局 1996)を読んだ。
少々古い本であるが、96年刊行当時から5・6年先のネット社会への展開を、予想を交えながら語っていくという内容である。
マイクロソフト社長の意見など読むと、さもインターネットが人々の生活をより豊かにするかのごとく描かれているが、果たしてどうだったであろうか。DSLの実現やウインドウズの発展など技術的にはかなり実現しているが、SOHOの限界性もすぐ露になり、電子マネーにいたっては「2000円札」と同じ運命を辿りそうな感さえあり、我々ユーザーの意識は予想ほど変わっていないというのが正直な感想だ。
確か当時はインターネットは国家の枠組み、組織の上下を越えて情報を送ることのできるツールであり、真にインターナショナルな連帯を促すものだと盛んに喧伝されたものだが……。

「根拠」

昨日書いた、「根拠」であるが、1週間ほど前の東京新聞の夕刊の文化欄に文学者宮内勝典氏の文章が載っていた。その一部を引用してみたい。

ぼくは外界と文学との関係を語った。小説は何を書いてもいい。たとえば、アパートの一室の小さな出来事でも、暗く閉じた頭蓋の中で起こったことでも、いっこうにかまわない。だが、外界を広く、深く、ぎりぎりまで意識化していけば、その出来事はおのずと光をはらみ、普遍性の真っただ中へせり上がってくるはずだ。その言葉の海から浮上してくるものこそが、文学なのだ。

文学が力を無くして久しいが、地道に学生との討論の中で、文学から社会に踏み込んでいく姿勢は評価できる。まだ氏の本を読んだことはないので、何とも言えないが、戦後の日本の文壇の「政治と文学」論争によって混乱してしまった文学に是非「根拠」を与えて欲しいと思う。

□ 宮内勝典公式サイト「海亀通信」 □

『GHOST HITS 95~99』

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ここしばらく、クルマの中でソウルフラワーユニオンというバンドの『GHOST HITS 95~99』というCDを聴いている。
「インターナショナル」という昔の労働歌のお祭りバージョンにアレンジされた曲が聴きたくて買ったのだが、その他の曲もなかなかノリが良くて運転中ずっと流している。
そのCDに添付されていた歌詞カードの前文の文章が気になった。少し長いが引用してみたい。

1995年1月17日、阪神・淡路で起こった戦後最大の地震は、大勢の被災者を出した。その後遺症は、天災というよりも人災と呼べるような複雑な背景を持ちながらも、今もなお続いている。震災は同時に、ソウル・フラワー・ユニオンという希有なるロックンロール・バンドの存在の根幹をも揺らした。9月11日の”アメリカ同時多発テロ”以降、「音楽は何のために」、あるいは「音楽に何ができるのか」といった命題が、再び浮かび上がってきた、という実感が僕にはあるが、この時SFUは、そのような疑問に駆られ、それを真正面から受け止めざるをえなかったに違いない。それは具体的に草の根的な現場演奏という活動へと結実する。「根拠」のある音楽を演ろうとする一点において、ソウル・フラワー・ユニオンは、日本に暮らす多くの音楽集団と一線を画している。スタイルと技術はあれど、根拠だけがないバンドが数多くいる中で、その「根拠」を自らに問い続ける姿勢は、賞賛してしかるべきものだと僕は思う。(臺次郎)

この文章の中の「根拠」という単語が印象に残った。「根拠の無い音楽」、「根拠の無い文学」、「根拠の無い教育」、そして「根拠の無い政治」がはびこっている中で、自らの中に「根拠」を求めんとする姿勢は現在の世相においてもっとも大切なことではないだろうか。
それにしてもやはりインターはいいねえ。

『凍える牙』

ホームページを新しく移転し、しばらくぶりに雑記帳を再開する。
しばらくはこの間読んできた本の感想に使いたい。

今日は乃南アサ『凍える牙』(新潮社)を読んだ。
いかにも昨今の直木賞受賞作という印象だ。警察の男社会に放り込まれた女性刑事の日常を追いながらも、最後は疾風というオオカミ犬に焦点を移していく展開のうまさには、読者を引き込んでいく作者の意気込みが感じられる。
ここしばらくゆっくりと出来るので、古典を中心に読書をすすめていきたい。
今読まなきゃいつ読むんだ!!