有森隆『ネットバブル』(文春新書 2000)を読む。
タイトル通り、光通信やソフトバンク、グッドウィル・グループなど核たる技術を持たない会社が、結局は本業でもナスダックジャパンや東証マザーズにおいてもマネーゲームに奔走していた実態を明らかにしている。そしてマネーゲームにつきものの、暴力団のフロント企業との癒着という日本的な構造が根深いことも示している。光通信はキャリアであるDDIに食い付く形で業績を伸ばしたが、現在の携帯電話市場の過当競争を見るに、同じようなビジネスモデルが今でも蔓延っているのだろう。
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『戦場のピアニスト』
先日大宮のサティの中にあるワーナーマイカルというシネコンで、ロマン・ポランスキー監督『戦場のピアニスト(The Pianist)』(2002 仏独英波)を観た。
CMで映画評論家のおすぎが「感動」を連呼していたが、正直泣ける映画ではなかった。しかし見終わった後で、いろいろ考えさせる映画であったことに気付いた。
ナチスドイツがワルシャワに侵攻した1939年から話は始まる。ユダヤ人のピアニストであった主人公シュピルマンは当然のごとく、ユダヤ人居住区であるゲットーでの生活を余儀なくされ、アウシュビッツへの片道列車の恐怖におびえながらの生活が続く。しかし主人公シュピルマンは運命のいたづらか、ゲットーから脱出し、ワルシャワ市民やドイツ兵の監視の眼の届きにくい場所に落ち着くことができた。しかし仲間の裏切りもあり、栄養失調のためいつ死んでもおかしくない絶望の状況に追いつめられていく。そして廃屋の屋根裏での生活がドイツ兵に見つかる。そこでドイツ兵に問いつめられたシュピルマンは最後に「わたしはピアニストだ」「戦争が終わったらラジオ番組でピアノを弾きたい」と力強く言い放つ。彼が戦火を逃れ生きようとする根本の力がピアノであったことに観客は気付く。
単に戦争批判をくり返すことだけではなく,自分らしさや自分なりの夢を真摯に追う,自分の将来像を確と見据えることも戦争反対の原動力になるのではないか。
『盗まれた独立宣言』
ジェフリー・アーチャー『盗まれた独立宣言』(新潮文庫1993)を半分だけ読んだ。
前半、お互い面識もない登場人物のそれぞれの日常生活が断片的に語られる展開で始まるのだが、イギリス文学ならではの遠回しな文章表現に嫌気がさしてしまった。少々作者の言葉を端折ってでも、ヨーロッパ文学の訳出はシンプルにした方がいい。江國香織や片岡義男の文章が好きな向きはいいが、私文学の影響を強く受けている日本文学に慣れ親しんだ私たちには付帯状況たんまりの文章は読みにくい。
かつて私の敬愛する文学者中野重治氏は『日本語実用の面』(筑摩書房1976)の中でこのように述べている。
第二には、私は単純に書きたいと思つている。なるべく短い文章で書きたい。その点、このごろの新しい作家たちのあるものの書く長い長い文章はあまり好かない。おもしろいこともあるが、中身がさほどでもないところへやたらに調味料を使つたようなもの、肝腎の食いものより皿や皿敷きに金をかけたようなのを好まない。色づけということを拒まぬけれど、いやに毒々しい色づけは御免こうむりたい。つまりそれを自分の書くものに求めている。
(中略)
第四に、私は何とかしてことばの、また文章の、センチメンタリズムというものから逃れたい。何のどこをセンチメンタリズムと呼ぶかについて議論があるかも知れぬが、それはここでは触れぬことにする。とにかく私は、ひとのものにしろ自分のものにしろ、文章のセンチメンタリズムというのは、つきつめて行くとどこかに嘘があるのではないかとも思う。それから悪い意味でのエゴイズムがあるのではないかとも思う。センチメンタリズムとそれに伴う雄弁、これを私は自分に警戒したい。それはそこに利益がないからでもある。東京で、七五三に、子供にでこでこ着からざして飴袋を提げさせて歩く。ああいうのを自分の地の文から遠ざけたいと思つている。
『ミラノ発〈最新おしゃれ術〉イタリアのすっごくおしゃれ!』
タカコ・半沢・メロジー『ミラノ発〈最新おしゃれ術〉イタリアのすっごくおしゃれ!』(ベネッセ1996)を半分ほど読む。
ファッションからヘアスタイル、ダイエット法、ブランドなどについて実際に現地に住み生活する中で垣間見えるイタリア人の素朴なおしゃれを分かりやすく説明している。日本人はプラダだのアルマーニだのヴァレンティノだの高級ブランドに振り回されやすいが、実際のイタリア人はもっとエレガントでこだわりを持っている。大切なことは金を払うことではなく、センスを磨くことだと結論づける。ブランドのブの字も知らない私にとって、しごくもっともという感想以外何もなかった。
車検
ここ4日間ほど、ミラージュを車検に出していたため、代車を借りて乗り回していた。三菱の新しいekワゴンという軽自動車を借りたのであるが、ミラージュよりも室内は大きく、取り回しがいいため、つい車検を急きょ取り止めて乗り換えようかと思ったほどだ。税金も安いし、燃費も良いのでいいところばかりなのだが、埼玉県内を走っていると後ろから煽られるので落ち着いて運転が出来ないのがウイークポイントである。またオートマ車を借りたのだが、マニュアルに較べて運転が雑になる気がした。クラッチやギアの操作が無い分だけ、ついつい運転しながら他のことに気を取られてしまう。携帯電話をかけながらの運転も、ほとんどがオートマ車であるがゆえの行為だろう。便利さの裏返しの危険性を改めて知ることが出来た。

