山根一眞『変体少女文字の研究』(講談社文庫1989)という古い本を読む。
70年代後半から80年代前半にかけて爆発的に普及をした丸文字(マンガ文字)に関する社会学的分析の本である。横書きの普及やファンシーノートの流通など様々な要因が普及しているが、作者は別の角度から結論を述べる。
投稿者「heavysnow」のアーカイブ
amlから転載
−−−転載・転送・宣伝歓迎!−−−
反戦青年救援会からの情報です。
★3・20、4・5、4・13、4・19と連続した反戦行動・デモにたいする不当逮捕のうち、3・20の4名は3月31日に、4・5の1名は4月23日に、4・13の1名は4月24日に解放。広範なご支援に感謝すると共に・・・
★しかし、4月19日の反戦デモに参加した青年1名が警察機動隊の襲撃・暴行を受け、いまだ不当に拉致され、遠くの立川に監禁されたままです。逮捕された野宿の仲間の体調が思わしくないとのこと、拉致・監禁から一刻も早く解放をかちとるために、のじれん(渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合)の救援活動にご支援を!
http://mypage.naver.co.jp/antiwar/against419/
また、反戦・反弾圧声明へのご賛同
http://mypage.naver.co.jp/antiwar/
のほうも引き続きよろしくお願いします。
『読書力』
齋藤孝『読書力』(岩波新書 2002)を読む。
内容としては特に深いわけでも、目新しいものもないのだが、読書離れが指摘される中、同意できる点が数多くあった。著書にもなった「三色ボールペン」による読書方法を通じて、生活の中で会話や思考力の向上としての読書のあり方を提言する。
読書は、もちろん知性や情感を磨くものでもあるが、同時に、複数の優れた他者を自分の中にすまわせることでもある。情報を手に入れることだけが、読書の主目的ではない。生身の人間の価値観を自分の中に取り入れ、自分の幅を広げていく。凝り固まった狭い考えに閉じこもらずに、優れた価値観を様々に受け入れる。そうした作業を地道に続けることで、社会常識から隔絶した孤立的な空想に陥ることを防ぐことができる。もちろん本によっては、犯罪につながるような空想を喚起するようなものもある。その意味では、本にまったく毒がないとは言い切れない。自殺の仕方や殺人の方法までを書いた本が出ているくらいだ。しかし、ここで強調したい読書は、そのような種類の本のことではない。十分に幅広い読書をしていれば、そのような本を絶対視することも少なくなる。
『だからあなたも生き抜いて』
大平光代『だからあなたも生き抜いて』(講談社 2000)を読む。
作者は中学2年のときにいじめ自殺を図り、その後非行に走り、極道の妻を経て、29歳で司法試験に一発合格した異色の経歴の持ち主である。プライバシーに配慮しすぎたためか、事実関係を端折っている場面が多かったが、努力の押し売りを控えた表現で、素直に読むことができた。司法試験に合格した際に、背中の大きな刺青を消したらどうかという助言をめぐっての彼女の台詞が気に入った。
今までのことを全部消し去って、何もなかったようにのほほんと暮らすというのはちょっと違うと思うんです。過去にしてきた事実は事実として、一生背負っていくものだと。背負ったままの私で、何か世の役に立つことはないかと。そう思って、消さずにいたんです。
この大平光代の言葉を読んだ時すぐに私は文学者中野の言葉を思い出した。中野重治は1934年「転向」宣言による出獄後、すぐに『文学者に就いて』の中で以下のように述べる。
弱気を出したが最後僕らは、死に別れた小林(秀雄)のいきかえつてくることを恐れはじめねばならなくなり、そのことで彼を殺したものを作家として支えねばならなくなるのである。僕らは、そのときも過去は過去としてあるのであるが、その消えぬ痣を頬に浮かべたまま人間および作家として第一義の道を進めるのである。
大平光代の上記の言葉は、「転向作家」のレッテルを否定することなく、文学活動にまい進していった中野の姿となぞらえるに、非常に強い決意表明だと受け止めた。

