投稿者「heavysnow」のアーカイブ

『ヘッジファンド:世紀末の妖怪』

 浜田和幸『ヘッジファンド:世紀末の妖怪』(文春新書 1999)を読む。
 グローバリズムの流れに乗って国際的なデリバティブ商品を扱うヘッジファンド集団の活動の実態に迫る。ちょうど三国志と落合信彦の昔のインチキ本を読んでいるような興奮があった。数年前のアジア経済危機を演出したとされるジョージソロス氏に焦点を当てながら、実態経済と乖離した「カジノ資本主義」と読んでもいいような国際経済の現状を暴き出す。1999年代後半の日本を始め、タイ、韓国、香港、ロシアの経済危機の原因はアメリカを中心としたヘッジファンド集団による詐欺的な金融操作とされている。しかし、ヘッジファンドの代名詞ともなったジョージソロス氏に、イギリスのロスチャイルド家やフランス、ドイツの大手銀行が資金提供を行っているようである。そして、ちょうど97年のアジアの経済危機は、未曾有のヨーロッパの経済好転と時期を同じくし、翌98年には、ドイツやイタリアを始め全11か国全てが統合基準である財政赤字3%を達成する結果となった。ドルに対抗するためのユーロの創設に際して、アジア経済が犠牲となったと言っても良い。

 著者はそうしたヘッジファンド集団と欧米の大手銀行による金融操作の影響を免れるには、日本と中国が中心となって基軸通貨を作ることと、人とモノの流通を媒介する実態経済に戻すことを提案する。

『貧乏議員 国会「イビリの掟」を笑う』

川田悦子『貧乏議員 国会「イビリの掟」を笑う』(講談社 2002)を読む。
薬害エイズの被害者である川田龍平の母親で、2000年の秋から3年間衆議院議員を務めた著者による国会奮闘日記である。ちょうど小泉総理の首相指名投票や田中真紀子外相の更迭などの時期と重なっており、自民・公明両党と民主党による二大政党制が模索されていた時期で、女性でありしかも無所属議員の悲哀さを描く。

しかし、著者は「私は国会の『イビリの掟』に屈しません。みんなで、『永田町の掟』をぶっこわしましょう!」と明るくまとめる。田中真紀子議員の堂々とした姿を無批判に称えているのが気になるが、また機会が議員にあればチャレンジしてほしいものである。

『読むだけ小論文 応用編』

 樋口裕一『読むだけ小論文 応用編』(学研 2001)を読む。
 小論文といえども、全くのオリジナルな発想が求められているわけではなく、ある程度の展開の型が出来れば、後は構造的な知識で小論文が書けるようになると著者は述べる。本書では、民主主義や、消費社会、言語・文化、メディアなど小論文頻出テーマについて、チャート式に分かり易く解説がなされている。樋口氏の述べる「1:4:4:1」の起承転結型の小論文のスタイルは堅苦しくて好きではないが、これ以上のないくらい簡潔に現代日本人、日本社会が抱える問題が解説されており、楽しく読むことが出来た。
 国公立大学で狙われるようなテーマはほとんど網羅されているので、受験生にオススメしたい。

『元祖!ラーメン本』

博学こだわり倶楽部『元祖!ラーメン本:ラーメンのことなら何でもわかる』(河出書房新社 1997)を読む。
ラーメンに関する本や雑誌の記事を寄せ集めた暇つぶし的な雑学の本である。
本で述べられていた豆知識を一つ紹介したい。インスタントのカップヤキソバの作り方であるが、麺の上に乾燥キャベツなどのかやくをのせてお湯を注ぐとかやくが容器のサイドにくっついてしまう。そこで麺の下にかやくを置いておくと程よく麺とかやくが絡むということだ。

本日の東京新聞の夕刊

本日の東京新聞の夕刊に一橋大学教授の鵜飼哲氏の談話が載っていた。
東大の駒場寮や法政の学生会館など学生が自主的に自己形成してきた場ががなくなっていることについて、「迷惑はいけない、安全という名目で自由な空間や時間を奪い、人間を窒息させる自殺行為」だと断じる。そして2005年における抵抗の条件について以下のように述べる。
明確な批判なり、欠点を指摘することも大切だが、まずは「ちょっと待てよ」と踏みとどまることが抵抗の第一歩だと鵜飼氏は述べるのだ。「上意下達」に物事を鵜呑みにし、「大人のふり」をして、何ごとも分かったような顔をするのは止めろということだ。

 今の危機は何か、踏みとどまって考えること。抵抗の第一歩は踏みとどまることです。何も言わなければ抵抗にならないという考えはありますが、僕は多様であっていいと思う。無党派、引きこもり、年間三万人という自殺者…いずれも抵抗の一つでしょう。自殺は、十年で三十万人近くが死んだ、自分に対する内戦だったと考えるべきです。
新たに学ぶというよりある種、学んでしまったことを捨てること。体や心をズラして、ゆったり構えて持続することが一番大事かもしれない。中国文学者の竹内好は、日本の“一木一草に天皇制がある”と書いた。息の長い文化闘争が必要なんだと思います。まずは日本人を拘束してきた“迷惑”という言葉の使い方を考え直してはどうでしょう。