投稿者「heavysnow」のアーカイブ

『湯川秀樹』『映画少年・淀川長治』

まったく接点のなさそうな二人の伝記を取り上げてみたい。

二反長半『湯川秀樹』(ポプラ社文庫 1994)と荒井魏『映画少年・淀川長治』(岩波ジュニア新書 2000)の二冊を読んでみた。

湯川秀樹氏は1907(明治40)年生まれ、淀川長治氏は1909(明治42)年生まれとほぼ同時期に生まれている。湯川氏は学校の一方的な解法を強いる授業よりも数学や物理の世界に興味を持ち、淀川氏は映画館こそが学校であると湯川氏とは逆に理数科目はぼろぼろであった。そして二人とも青春時代を戦争とともに過ごし、戦争に対する批判として、湯川氏は平和のための科学技術の在り方を、淀川氏は平和の礎を築くための愛を映画に求めていった。戦争をどういう形で体験し、どう反省したのかということがこの世代の人間にとって大きなテーマである。文学だけでなく、映画や科学の世界でも戦争の総括が戦後の発展の岐路となっていったのだ。

アメクロー

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ニャホニャホ”アメ”クロー♪
アパートにいる時間が人間よりも多いためか、すっかりアパートのご主人様になっているマルクス君。

本能的なアメリカのフロンティア精神が発揮されているのか、植木鉢を倒したり、本棚の本をひっくり返したりといたずらも本格化している。先月までは注意で頭を叩いたらすたこらさっさと逃げていったのに、最近は頭をかなり強く叩いても平気になってきている。首の筋肉が強くなったようだ。

『やさしい環境問題のはなし』

最近転職に伴い、新しい職場で覚えることが多く、まだ緊張も抜けないためか夜はバタンキューの状態である。このホームページの更新も滞りがちである。4月の下旬に入って、花粉症もやっと症状が収まってきて、また、できるだけ多くの良書に出会いたいものである。

横田弘幸『やさしい環境問題のはなし』(法学書院 1997)を読む。
環境問題というと、先進国の政府も途上国の政府も、また、あらゆる政党、市民団体が「守るべきものだ」という立場を崩さないので、単に法令や宣言を見ても環境問題へのスタンスの違いが見えてこない。横田氏は原発訴訟や交通騒音の訴訟の丁寧な分析から、環境保全を口にしつつも企業論理を優先させる日本の政府の立場を露呈させている。教育問題や環境問題など誰しも全面的には批判できないような問題は、逐一個別裁判の判決内容を分析していくのが正しいアプローチなのであろう。

『自由民権』

色川大吉『自由民権』(岩波新書 1981)を読む。
まさに名著といってもよいほどの労作である。1880年代に日本各地で展開された自由民権運動の一つ一つを丁寧に掘り起こしている。小学校レベルの日本史の教科書では板垣退助や江藤新平らによる国会開設運動として自由民権運動は結実したという書かれ方がなされる。しかし、自由民権運動の本流は日本各地で警察の弾圧にもめげずに展開された草の根の市民運動や、秩父、群馬などで抵抗を示した民衆が担ったのだ。しかもその中には現憲法の三大原理をも先取りしたような憲法が提案されている。さらに現憲法成立の過程でGHQ案の草案を、自由民権運動を担った知識人や学者によって作成されているのだ。日本共和国憲法を作った高野岩三郎氏や、森戸事件で有名な森戸辰男氏がそのメンバーに名を連ねているのだ。19世紀後半から20世紀前半にかけての日本に対する歴史観がひっくり返されたような感覚を覚えた。
色川氏は次のように述べる。

(敗戦直後、GHQから日本国憲法を「押しつけられた」という意見に対して)もちろん、本来なら日本人民の手で旧権力を打倒し、みずからの政府を組織し、そのうえでみずからの憲法を創造すべきであったが、敗戦直後の日本国民には、その力が決定的に足りなかった。そのために生じた不幸な事態である。しかし決して、明治憲法のように反動勢力によって人民が押しつけられたものとは性質が違う。たとえ、ささやかな流れであったとはいえ、自由民権以来の伝統が、敗戦後の民間草案などを通して現憲法に生かされ、しかも、その後35年、主権者たる国民の大多数から一貫して支持されてきたということの中に、現日本国憲法の正当性の根拠があるのであって、いつまでも成立事情などによって左右されるものではない。

最後に色川氏は次の言葉を現代に生きる私たちに突きつけている。

憲法問題や防衛問題は勿論のこと、人権や民主主義の原理の問題、土着的、人民的抵抗の思想化の問題、脱亜入欧の問題、天皇制の問題など、自由民権運動の敗北のあと、幾度もの歴史的な試練を経ながら未解決のままに残されたことがらはあまりにも多い。その意味でも自由民権運動はまだ終わってはいない。「歴史」として完結しておらず、現代の私たちに切実な課題としてひきつがれている。

『ナショナルトレジャー』

本日、さいたま新都心へ、ニコラス・ケイジ主演『ナショナルトレジャー』(2004 米)を観に行った。
親子代々続くニコラス・ケイジ扮する歴史学者ベンが、アメリカ独立宣言に隠された秘密を暴くという話だ。
途中、インディジョーンズそっくりの場面があったりしたが、テンポよく話が展開していって飽きることはなかった。
しかし、ニューヨークのど真ん中のトリニティ教会の地下奥深くに、歴代のフリーメーソンが隠したアレクサンダー図書館の秘宝が眠るという結末は、あまりにぶっ飛んでいて逆に爽快感すら感じた。日本に置き換えるならば、皇居の地下を掘ったら卑弥呼の財宝が見つかったという設定だろうか。まさに「ザ・ハリウッド」という映画である。

□ 映画『ナショナル・トレジャー』公式サイト □