投稿者「heavysnow」のアーカイブ

初級シスアド

今日は松原団地駅に隣接する獨協大学で初級シスアドの試験を受けてきた。
当日の電車の中や昼食を食べながらの勉強も合わせて正味15時間くらいの勉強であったが、普段からパソコンに触れているせいもあってか、解答速報で午前8割、午後7割の点数をとることができた。初級シスアドとは、ユーザーの立場に立って、システム設計者と共同して企業の情報化の先導役を担う人のための基礎的な知識を問う試験である。そのため様々な数値や処理や販売、会計、成績、データベースなど日常頭を悩ます一連の処理を分かりやすく図示し、プログラム担当者に伝える情報整理能力が求められる。合否はともかく、DFDやE—R図、フローチャートで物事を図解したり、表計算の絶対値や関数、データベース関数の概要が整理できたりして勉強自体は面白かった。

初級シスアド合格のポイント(私見)
・午前問題は基礎知識が問われる。但し過去問からの出題が多いので、過去3年分春秋計6回ほどの問題を繰り返せばパターンは見えてくる。但し、ここ数年特にインターネット接続の技術革新が早く、最新の問題集を購入した方が良い。4、5年以上前の問題集だとISDNやダイヤルアップ接続など少し古い問題が混在されているので注意が必要。私は例のごとくブックオフで105円の問題集をやっていたので、余計な知識が付いてしまった。
・午後問題はIPアドレスや暗号技術、またSQL構文や表計算の関数の基礎的なところが理解できていれば、あとは文章理解能力が試されていると言っても過言ではない。時間が足りないので、過去問を解いて、設問の構成の特徴を理解しておくと良いだろう。

『君ならできる』

ここ最近忙しくて本を読む暇が無い。仕事の予習に普段以上に時間を費やされ、また、家族が病院にかかったりで気持ちが少しばたばたしている。来週は少しゆっくりできそうなので、気持ちを入れ替えたい。

小出義雄『君ならできる』(幻冬舎 2000)を読む。
シドニーオリンピックの直前の2000年9月に、高橋尚子選手や有森裕子選手を育てた名伯楽の著者が、マラソンの監督としての選手育成の秘訣や心構えを述べる。しかし、その内容は単にスポーツの監督の域を越えて、より良く生きるための極意ともなっている。とくに怪我や病気など陸上に付き物のマイナス要因をプラスに置き換えて選手を叱咤激励する姿勢は見習いたいものだ。

高橋がケガをしたり、風邪をひいて焦っているときには、
「悔しいかもしれないが、そうじゃない。もしも土壇場で風邪をひいたりケガなんかしたら、スタートラインにつけない。いま、『せっかく』ここで風邪をひかせてくれた、ありがたく休めということなんだ」
そういってやる。せっかく転んでケガをした。せっかく食中毒を起こした。「せっかく」と思うところから、別の見方が生まれてくる。ここでお腹が痛くなった「せっかく」お腹が痛くなったのだ。ありがたい。そんなふうに理解しておけ、と。「せっかく」という言葉を覚えておきなさい。この言葉は仏教の教えだが、私自身も日々心懸けている。
なにかあったときには、「せっかくこうしてくれた、感謝、感謝」そう思う心が大切なのだ。

『世界の中心で、愛をさけぶ』

片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館 2001)を読む。
白血病で彼女を亡くした主人公の男子高校生の一人称の語り口で、彼女との楽しい思い出や、彼女の死後の喪失感、そして、生きること死ぬことの意味が語られる。白血病を題材とした陳腐なドラマ仕立てであるが、後半、つい涙腺が潤んでしまった。

オウム事件

本日の東京新聞の朝刊は一面、オウム真理教麻原被告の死刑確定の記事で埋められていた。96年の4月から公判が始まり10年余りが経った。改めてここ10年の時代の雰囲気の変化に驚かされた。テロをぶっ潰すというブッシュ大統領の妄言に付き添って自衛隊が海外に派兵された。また、怪しげな宗教・政治団体やテロ組織を取り締まるという名目で、警察による「予防拘禁」な取り調べも日常の風景となった。インターネットという自由な表現ツールはうまく軌道に乗ったが、一方で自由な表現活動そのものは大きな制限を受けている。
識者のコメントして、作家の宮崎学氏は次のように述べている。彼の指摘する「閉塞状況」についてもう少し調べてみたいと思う。

ぼくらが若いころ、社会に対して持った問題意識は、宗教を通じてしか持ち得なくなったのか、という思いがあった。閉塞状況の中から生まれてきた組織、つまりオウムは、その閉塞状況を打ち破ることができずに終わった。大きな衝撃を与えたが、社会はさらに閉塞を強めていったにすぎない

また、事件後の教団信者を追うドキュメンタリー映画を撮った森達也さんは次のように語っている。

法治国家の崩壊だ。オウム事件以降、世間では「体感治安意識」と呼ぶべきものが高まって、悪の排除に躍起だ。だが原因を徹底的に追及しないから、恐怖や不安しか残らない。不安に駆られた人々は米国型の「武装」へと傾いていくだけだ。憲法九条もいよいよ危ない