『パール判事』

中島岳志『パール判事:東京裁判批判と絶対平和主義』(白水社,2007)を読む。
著者は大阪外国語大学外国語学部地域文化学科ヒンディー語専攻を卒業し、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了され、北海道大学大学院法学研究科准教授を経て、現在東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授を務めている。本書も法解釈に踏み込むのではなく、東京裁判で有名になったパール判事の生涯に迫る人物伝ともなっている。

途中読み流すところもあったが、著者の伝えたいことが最初に示され、それを例証するパール判事の生い立ちや東京裁判の判決書、その後の日本国内の動きを通して、繰り返し説明されるので分かりやすかった。

1945年7月26日に出され、8月14日に日本が受諾したポツダム宣言の第10項には「我等の捕虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加へらるべし」と示されている。しかし、「戦争犯罪人」に規定もなく、誰が処罰を加えるのかも決まっていなかった。現在であれば、国連が戦争の当事者ではない第三者機関として司法の人道に対する罪、戦争犯罪に問われる個人を訴追する国際刑事裁判所がある。しかし、極東軍事裁判(東京裁判)では、戦勝国である連合国が当時の国際法にはなかった「平和に対する罪」「人道に対する罪」を持ち出し、敗戦国の日本を裁くことになった。

これは、いかなる行為が犯罪であるか、その犯罪にいかなる厳罰を加えるかは、あらかじめ法律によって定められていなければならないとする、近代法の根本原理の一つである罪刑法定主義の原則に関わる問題である。この罪刑法定主義に則する限り、行為時に法律上犯罪とされていなかった行為を、のちに制定された法律によって処罰することは厳禁である。「事後法」による遡及処分は、法によって支えられる秩序を根本から覆しかねない。

パールはこのような裁判は「単なる権力の表示のための道具」となると厳しく批判している。戦争に勝ちさえすれば、自分たちの思い通りに裁判を行うことができるという誤ったメッセージを世界に敷衍し、その結果、侵略戦争をしてはならないという意識よりも、戦争に負けると酷い目にあうという意識だけを高めることになってしまう。政治的意図が法の原則を蔑ろにすることこそ、侵略戦争の再発につながると訴え、その行為を「反文明」的であると批判した。

一方で、パールは通例の戦争犯罪を東京裁判で裁くことは積極的に容認した。彼は「南京大虐殺」や「バターン死の行進」をはじめとする日本軍の「残虐行為」を事実と認定し、「鬼畜のような性格」とを持った行為として断罪している。また、BC級戦犯の刑事上の責任は追及すべきと主張している。そしてA級戦犯についても、これらの残虐行為を指示したり、事件拡大の防止を怠ったという証拠は確認できないとして、平和や人道に対する刑事上の罪こそ適用できないものの、道義的な戦争責任からは逃れられないと述べている。つまり、日本の植民地政策を正当化したり、大東亜戦争を肯定する主張など一切していないのである。彼の歴史観によれば、日本は欧米列強の悪しき模倣者であって、その道義的責任は原爆を投下した連合国にも日本にも存在すると見ている。

では、いったいなぜパール判事が東京裁判の無効や大東亜戦争賛美のベクトルで名前が挙がるようになったのであろうか。戦前・戦時中に松井石根(A級戦犯として死刑)の私設秘書としてアジア解放運動に従事した田中正明氏の存在がある。1963年に、田中氏はパール判決書を意図的に割愛したり、誤訳したりした『パール博士の日本無罪論』を出版している。この「無罪」という言葉が意図的、無意図的一人歩きをし、「パールは戦前の日本の行為はすべて問題がなかったと主張している」と誤読されるケースが後をたたない。あくまでパール判事はA級戦犯の国際法上の責任までは追及できないとしただけであって、法律論に基づき、厳正に処罰すべきだと繰り返し主張されているのである。