本日の東京新聞の朝刊は一面、オウム真理教麻原被告の死刑確定の記事で埋められていた。96年の4月から公判が始まり10年余りが経った。改めてここ10年の時代の雰囲気の変化に驚かされた。テロをぶっ潰すというブッシュ大統領の妄言に付き添って自衛隊が海外に派兵された。また、怪しげな宗教・政治団体やテロ組織を取り締まるという名目で、警察による「予防拘禁」な取り調べも日常の風景となった。インターネットという自由な表現ツールはうまく軌道に乗ったが、一方で自由な表現活動そのものは大きな制限を受けている。
識者のコメントして、作家の宮崎学氏は次のように述べている。彼の指摘する「閉塞状況」についてもう少し調べてみたいと思う。
ぼくらが若いころ、社会に対して持った問題意識は、宗教を通じてしか持ち得なくなったのか、という思いがあった。閉塞状況の中から生まれてきた組織、つまりオウムは、その閉塞状況を打ち破ることができずに終わった。大きな衝撃を与えたが、社会はさらに閉塞を強めていったにすぎない
また、事件後の教団信者を追うドキュメンタリー映画を撮った森達也さんは次のように語っている。
法治国家の崩壊だ。オウム事件以降、世間では「体感治安意識」と呼ぶべきものが高まって、悪の排除に躍起だ。だが原因を徹底的に追及しないから、恐怖や不安しか残らない。不安に駆られた人々は米国型の「武装」へと傾いていくだけだ。憲法九条もいよいよ危ない