投稿者「heavysnow」のアーカイブ

『理系発想で経済通になる本』

和田秀樹(日本実業出版社 2003)を読む。
「理系発想」というタイトルに魅かれて読んでみたが、目新しい中身はほとんどなく、投資家の心構えを大上段に説くといった内容である。高名な経済学者の理論を崇拝する=文系的発想ではなく、下記に彼が述べるように、仮説→実験→検証といった近代科学的手法で「生きた経済」を捉える=理系的発想が必要だと説明する。しかし、心理学を応用すれば経済が読めるようになると喧伝する割には具体的な手の内は隠されたままである。

心理学の理論というのは、それぞれが所詮仮説であって、実際にそれが使える理論であるかどうかは、患者に試してみたり、社会に試してみたりしないとわからないものだという結論に達したことだ。その際に、おそらくは経済学もそういうものなのだろうということを薄々感じた。心理学でも経済学でも、多くの理論があるが、どれが正しいかはやってみないとわからないし、アメリカであてはまることでも日本であてはまらないことがあるのだろう

『日本経済のことが面白いほどわかる本』

山下景秋『日本経済のことが面白いほどわかる本』(中経出版 2002)を読む。
今から5年前の本で、当時の「小泉−竹中」路線による財政構造改革をきわめて教科書的に検証している。株価の動向が日本経済にどのような形で影響を与え、そして公定歩合や為替にどうはね返っていくのか、いささか説明がくどい部分もあるが、高校生の読者にも分かりやすく解説している。
中学高校の社会の授業なんかだと、一国の経済が成長すると通貨の価値も高まり、輸入品が安くなると説明される。しかし、現在では先進国を中心に、意図的に通貨の価値を低くし貿易赤字が増やそうとする動きも出てくる。また、その辺りの株価や為替、地価の流れと政府、企業、消費者の入り組んだ関係が少し整理できたような気がする。

生活保護基準の切り下げ

本日の東京新聞の朝刊の藤本由香里さんのコラムが関心を引いた。
厚生労働省は2008年度から生活保護費の給付の基本となる基準額(食費・光熱費などの最低生活費)の大幅な引き下げを検討しているそうだ。藤本さんは次のように述べる。

厚労省は「一般所得世帯の消費実態との均衡」を見直しの理由としてあげているが、この裏には「正社員並みに働いても所得水準が生活保護以下の層」いわゆる「ワーキングプア」の存在があるのは間違いない。つまり働いても保護水準以下なのなら、生活保護基準の方を切り下げてしまおう、というわけだ。しかし、これでは本末転倒だろう。なんとかしなければならないのは、「人を安く使い捨てる」ことを奨励してきた制度の方であり、生活保護基準の方ではないはずだ。(中略)弱者を切り捨てることで国は豊かにならない。今、別の再配分が求められている。

まさに正鵠を得た意見である。働いても働いても家族を安心して養うことのできない収入しかないのでは、労働者はストレスで身を滅ぼすであろう。やはり、日本の社会風土においては欧米以上の広範囲なセーフティネットの確立が求められる。また、雇用のあり方にもメスを入れたい。就職氷河期などで一定の年齢を超えた不定期雇用者や障害を抱えた者、育児や介護などでまとまった時間が取りにくい人たちにとって働きやすい環境を整えていくことが急務である。

『少年犯罪実名報道』

高山文彦『少年犯罪実名報道』(文春文庫 2002)を読む。
1998年1月に大阪府堺市でシンナー中毒の19歳の男性が5歳の幼稚園児を刺し殺し現行犯逮捕されたという事件が発生した。そしてその事件について新潮社が少年の実名が報道しという少年法と表現の自由という本質的な議論が展開された裁判を

少年法61条は「氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない」と定めている。しかし、一方で憲法21条では「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と表現の自由を認めている。また、日本新聞協会はこの少年法の解釈に例外規定を設けて、「社会的利益の擁護が少年保護より強く優先する場合は氏名、写真の掲載を認める」と定めている。

「日本語を母語としない子どもと保護者の高校進学ガイダンス」

本日仕事の関係で、埼玉県越谷市で開催された「日本語を母語としない子どもと保護者の高校進学ガイダンス」という進学ガイダンスに参加した。世界一難しいと巷間指摘される日本語のハードルに阻まれ、高校への進学、さらには大学進学、将来の夢すらも見据えることができない中学生に、入試や学校選びのアドバイスを行った。
日本への出稼ぎや国際結婚など様々な理由で日本へやって来る子どもはここ20年で確実に増えてきている。県教委の話によると、日本語が十分に使えない外国出身の生徒は各中学校に2〜3名、埼玉県全県で少なくとも数百人近くいるということだ。親や社会の一方的な都合で母国を離れざるを得なかった子どもに高校教育の場にチャレンジする適当な機会を設けることは、県として当然やるべき責務である。
確かに定時制高校や競争率1倍を切っている高校に入ることは、少子化の現在容易なことである。しかし、日本語のサポートや取り出し授業、その他の支援体制が組まれた学校は少ない。普通高校教育の現場においても、ますます多国籍化していく生徒の実態を踏まえ、「特別支援教育」的な考え方が必要になってくるであろう。

〈特別支援教育についての文科省の定義〉
「特別支援教育」とは、障害のある幼児児童生徒の自立や社会参加に向けた主体的な取組を支援するという視点に立ち、幼児児童生徒一人一人の教育的ニーズを把握し、その持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善又は克服するため、適切な指導及び必要な支援を行うものです。
平成19年4月から、「特別支援教育」が学校教育法に位置づけられ、すべての学校において、障害のある幼児児童生徒の支援をさらに充実していくこととなりました。

主催:財団法人 埼玉県国際交流協会
   埼玉県総合政策部国際課