投稿者「heavysnow」のアーカイブ

埼玉県の障害者雇用の法定雇用率

何気に職場で配られた埼玉高等学校教職員組合の速報ニュースを読んだら、埼玉県の障害者雇用率の改善についての要求の記事が載っていた。
現在、埼玉県の障害者雇用の法定雇用率は全国ワースト2位であり、今回の確定交渉において、それぞれの職種の雇用率を明らかにさせるとともに、他県の状況を調査研究し、雇用率アップのための具体的方策を早急に立てるよう要求したということだ。
やはり、障害者−とりわけ特別な支援が必要な方々−の就労については県が率先して取り組むべきことであり、埼玉県内の企業の雇用率アップの先頭を走るべきである。そのための現状分析はすぐにでも取り組んでほしいところである。

『ALWAYS 続・3丁目の夕日』

先程、子どもをお風呂に入れてから、春日部のララガーデンへ映画を観に行った。9時半にお風呂から出て、慌てて車を飛ばして、9時50分には映画館のシートに座っていた。ふと思いついて映画を観ることが出来るというのは最上の悦びである。文庫本片手に思いつくままに映画を観るという、子どもが生まれる前の自分の休日の過ごし方が少しずつ出来るようになって嬉しく思う。

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山崎貴『ALWAYS 続・3丁目の夕日』(東宝 2007)を観に行った。
前作ではサブ的な登場人物であった吉岡秀隆演じる茶川竜之介とその家族を中心として、彼の芥川賞受賞を巡って交錯する暖かい人間模様描く。高度経済成長のシンボルである東京タワーやまだ完成していない首都高速が、『アルプスの少女ハイジ』の「アルムのもみの木」のように、明るい将来に向かって努力を続ける人間達を優しく見守り続ける。感動的な音楽と相俟って、涙が半分ほど瞳を濡らしてしまった。
しかし、おそらくはこの続編を活字だけの小説にしても全くつまらない駄作にしかならないであろう。また主役を別の人間が演じても興ざめであろう。この映画は役者吉岡秀隆さんで決まりである。彼の涙が観客の心を打ち続ける。彼のぼさぼさ髪に顔をくしゃくしゃにした演技の右に出るものはいないだろう。

□映画『ALWAYS 続・3丁目の夕日』公式ページ□

『野菊の墓』

伊藤左千夫短編集『野菊の墓』(新潮文庫 1955)を読む。
一般に作者の代表作として知られる表題作の『野菊の墓』は、ちょうど今から100年前の1907(明治39)年に発表された作品である。一途に思い続ける彼女が突然の病で死んでしまい、彼女を思う気持ちだけが永遠に主人公の心に残り続けるといった「主観的な、感傷的な、失恋小説」であある。言葉は少し難しいし、保守的な恋愛観がモチーフとなっているが、『セカチュー(世界の中心で、愛をさけぶ)』や今のケータイ小説のような初々しさや爽やかさを感じる作品であった。『現代日本小説大系』(1950)の中で、中野重治氏が「人生に対して激情的な人々によって『野菊の墓』は読み続けられる可能性を持つと私は考える」と述べているように、「純愛」はいつの世も若者にとって大きなテーマとなるのであろう。(ずいぶん老成したものの言い方であるが)

『和解』

志賀直哉『和解』(新潮文庫 1949)を読む。
1917年(大正6年)に発表された作品で、タイトル通り結婚問題などで長年対立していた父と作者との和解を小説という形を借りて表現される。我孫子に住む主人公順吉は、上の娘の生後2ヵ月での突然死や下の娘の誕生等を経験することでこれまでの人間観を変えていく。そして病弱な祖母への労りを通して、麻布に住む父と心から和解していく心模様が丁寧に描かれる。上の娘が手厚い看病も虚しく息を引き取る場面や、下の娘の緊張の中の誕生シーンなど、見につまされる思いを禁じ得なかった。

(2番目の子の誕生の直後妻に対して)「よしよし」自分も涙ぐましい気持ちをしながら首肯いた。自分には何かに感謝したい気が起った。自分は自分の心が明かに感謝を捧ぐべき対象を要求している事を感じた。

『燃ゆる頬・聖家族』

堀辰雄初期短編集『燃ゆる頬・聖家族』(新潮文庫 1947)を読む。
ごちゃごちゃとした心理描写と風景描写の多い正直つまらない作品であった。マルセル・プルーストやら、ジェイムズ・ジョイスらのヨーロッパ文学の影響があるそうだが、何か江國香織さんの著作を読んだ時のうっとうしい読後感と似ている。