投稿者「heavysnow」のアーカイブ

『22才の別れ』

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幸手市内にある4号沿いのシネコンで大林宣彦監督・筧利夫主演『22才の別れ』(2006 角川)を観た。
かぐや姫の伊勢正三の名曲「22才の別れ」をテーマに、大林宣彦監督がオリジナルで脚本を練り上げた作品である。
団塊の世代に美味しいところを奪われ、新人類である団塊ジュニアが下から迫ってくる1960年生まれの中途半端な世代の悲哀を、40代半ばの主人公を筧利夫がうまく演じている。

久しぶりに映画館で泣いてしまった。
昔、といっても15年くらい前だが、池袋東口の風俗街のど真ん中にあった文芸座という映画館で観た、同じ大林宣彦作品である『はるかノスタルジイ』と非常によく似た話であった。『22才の〜』を観ながら、ちょうど映画の展開と同じように『はるか〜』を観た頃の19歳、20歳の自分を思い出していた。

『売る男、買う女』

酒井あゆみ『売る男、買う女』(新潮社 2006)を読む。
著者の酒井さんは元風俗女でヘルスやソープランド、SM、AVまで経験したノンフィクション作家である。まさに裸と裸の付き合いが迫られる風俗業界の男女の機微を著わした作品が多い。本作ではかなり怪しげな偏見が付きまとう、ゲイや女性を相手にした出張ホストで働く男性へのインタビューを試みる。
女性が男性に体を売ること以上に、男性が体を売るというのは単純に割り切ることが難しい仕事のようだ。ゲイの男性に舐められまくってお尻の穴を掘られたり、女性に金を払わせることに男性としてのプライドが邪魔したり、心身ともに擦り切れてしまうようである。

『14歳の眼がとらえた戦争・狂気の時代』

岡健一『14歳の眼がとらえた戦争・狂気の時代』(光人社 2003)を読む。
ちょうど今週の授業の中で、野坂昭如の『火垂るの墓』を扱ったので、敗戦の直前直後の状況を再確認したいと思い手に取ってみた。おそらくは自費出版の本なのであろう。
1931年に生まれ、藤沢で敗戦を迎えた著者には、都市空襲や帝国軍人としての苛烈な体験はない。しかし、旧制中学では授業はほとんどなく、過酷な勤労動員に明け暮れ、そして、8月15日を境にした価値観の転換や教科書の墨塗りを直に経験している。つまり、物事を確と見据える判断力育たぬまま、勉強や思考を停止され、戦争翼賛体制の中で、いつかは日本は欧米に勝つ、神風が吹く、勤皇の志士を目指せと「大人」から騙されてきた世代である。
そうした著者のわだかまりは8月15日以後、反抗期の気質もあってか、政治家や学校の先生、新聞社への怒りとなる。

この本で一番言いたかったことは、地獄へ逆落としするはずだった鬼畜米英の総大将マッカーサー元帥の名が、やっと復興が始まったばかりの野毛に新設された映画館の名称として横浜市民によって命名されたことです。「逆転の舞台」としてこれほど象徴的な出来事はないと思います。

『陰陽師:鳳凰ノ巻』

夢枕獏『陰陽師:鳳凰ノ巻』(文春文庫 2002)を読む。
この『陰陽師』シリーズは、「ものさびし」「ものおそろし」「ものかなし」といった平安時代の生活や文化に潜む「もの(何となく)」めいた人間感情が陰陽師によって「呪」や「鬼神」といった形となって現れてくるところに魅力があった。しかし、今回の同シリーズ第4巻は、スケールの大きい妖術対決やらどろどろしたオカルトめいた話が多く、平安朝の微妙な恐怖感や不安感が醸し出されておらず魅力も半減である。

『パークライフ』

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吉田修一『パークライフ』(文春文庫 2004)を読む。
第127回芥川賞を受賞した表題作『パークライフ』と「文學界」1999年8月号に掲載された『flowers』の2編が収録されている。『パークライフ』の方は、日比谷公園という都会のど真ん中の憩いの空間を舞台として、淡々と日常を送る私とふとした偶然で知り合ったスターバックスコーヒーが似合う女性との奇妙な交流が描かれる。
高校時代の淡い恋愛の回想シーンの文章が良かった。「潮騒はすぐにそこにあった」という表現がよい。

気がつけば、ひとりぼくだけがみんなの寝息を聞いていた。横でひかるも眠っていた。少しだけ口を開いてひかるの顔が、月明かりを浴びて青かった。潮騒はすぐそこにあった。