岡健一『14歳の眼がとらえた戦争・狂気の時代』(光人社 2003)を読む。
ちょうど今週の授業の中で、野坂昭如の『火垂るの墓』を扱ったので、敗戦の直前直後の状況を再確認したいと思い手に取ってみた。おそらくは自費出版の本なのであろう。
1931年に生まれ、藤沢で敗戦を迎えた著者には、都市空襲や帝国軍人としての苛烈な体験はない。しかし、旧制中学では授業はほとんどなく、過酷な勤労動員に明け暮れ、そして、8月15日を境にした価値観の転換や教科書の墨塗りを直に経験している。つまり、物事を確と見据える判断力育たぬまま、勉強や思考を停止され、戦争翼賛体制の中で、いつかは日本は欧米に勝つ、神風が吹く、勤皇の志士を目指せと「大人」から騙されてきた世代である。
そうした著者のわだかまりは8月15日以後、反抗期の気質もあってか、政治家や学校の先生、新聞社への怒りとなる。
この本で一番言いたかったことは、地獄へ逆落としするはずだった鬼畜米英の総大将マッカーサー元帥の名が、やっと復興が始まったばかりの野毛に新設された映画館の名称として横浜市民によって命名されたことです。「逆転の舞台」としてこれほど象徴的な出来事はないと思います。