北杜夫『ドクトルマンボウ途中下車』(中央公論社 1966)を読む。
今から50年以上前のエッセーで、開通したばかりの新幹線に乗った体験や、日本復帰前の沖縄旅行、戦前の信州登山など、ド昭和な時代を感じる内容が多かった。ただ、1966年当時でさえ、高速道路や観光施設など、最近の便利な世の中に対する恨み節が多く、戦後の20年の変化と21世紀に入ってからの20年の変化の違いに驚く。果たして現在は成長しているのか、衰退しているのか。
投稿者「heavysnow」のアーカイブ
岐阜〜名古屋
子どもを連れて、岐阜、京都までドライブ旅行に出かけた。
初日は起きてからダラダラしていて、出発したのが11時過ぎになってしまった。
そこからアテもなく高速に乗って、岐阜の長良川のホテルで一泊した。
2日目は関ヶ原古戦場、安土城跡、近江八幡の旧市街地の新町通りを訪れた。関ヶ原は10年ぶり2度目であったが、博物館ができていたりして観光地化していた。徳川家康の陣地跡や石田三成との合戦場などの石碑はよく見ると、昭和10年前後に作られていた。韓国併合などの帝国主義化を進む中で、国民の統合の象徴として使われてきたのであろうか。
安土城はあまりの急階段で、入り口で引き返した。安土城建設の際に土砂崩れによって数百人が命を落としたらしいが、納得の傾斜であった。
近江八幡駅近くのイオンで子どもがゲームをしている間に、少しだけ仮眠をとった。その間に陽が落ちてしまい、近江八幡の旧市街はほぼ通過しただけだった。京都に行く途中に比叡山延暦寺を通ろうとしたが、途中の有料道路が営業時間外であった。
3日目は自転車を借りて市内を回ろうとしたが、雨予報だったので、車で清水寺だけ行った。
帰りはよく調べていないまま、知多半島から渥美半島へ抜けようと高速を飛ばした。フェリー乗り場に着いたが、渥美半島までのカーフェリーは運航されていなかった。仕方なく、そこから一気に高速で帰ってきた。
「悲願の世界農業遺産認定」
『原発をとめた裁判長』

組合の総会で、小原浩靖監督・脚本『原発をとめた裁判長:そして原発をとめる農家たち』(2023 Kプロジェクト2022)を観た。
大変興味深い映画だった。前半は2011年の東日本大震災以降、原発再稼働で揺れた裁判において、2014年に関西電力大飯原発の運転停止命令を下した樋口英明・福井地裁元裁判長と、全国の原発差止訴訟の代表を務める河合弘之弁護士の両名がタッグを組んだ裁判闘争の模様が報じられる。また、後半に入ると福島・二本松で資金や許認可、地元の合意などと闘いながら、有機農業とソーラーシェアリングの取り組みを始めた近藤恵さんや大内督さんたちの農業に掛ける思いが綴られる。どちらも極めて笑顔でポジティブにしぶとい闘いに向かっている姿が印象的であった。
『バルセロナ、秘数3』
中沢新一『バルセロナ、秘数3』(中央公論社 1990)をパラパラと読む。
オウム真理教事件が起こる前であり、著者が尖っているころの作品である。冒頭はバルセロナの旅行記風の軽快な出だしだが、途中からカタルーニャを象徴する3という数を崇拝する新興宗教のような内容となっていく。1は男性、2は女性、3は生命、そして4は神を示すという。
後半は以下のような内容が延々と続く。
もうおわかりでしょう。秘数4は、自分のなかに、多様性を圧倒して、それを統一性のもとにゆだねる権威主義への萌芽を、原理的に宿しています。ところが秘数3には、それは思いもつかないことなのです。ひとりひとりの人格は、三位一体としてつくられています。ですから、もともと絶対的な多様性として、ほかのなにものにも還元できない自立性や単独性をそなえているはずです。こうして、3は自分を包囲する4との、終わりのないたたかいにたえなければならなくなったのです。






