『恋人たちの誤算』

唯川惠『恋人たちの誤算』(新潮文庫〉を読んだ。
ハッピーエンドではない恋物語であり、会話のない二人の間を埋める気持ちの探り合いが真に迫っており面白い作品だった。特に婚約を直前に破棄して飛び出してきた侑里と透の生活のすれ違いは読者の興味を引かせる。結婚を前提としてつき合い始めた二人だったが、段々気持ちが離れていき、侑里は段々精神的に変調を来してくる。しかしデパートに行き、シャツやらバッグやら手当たり次第に買うと気持ちが落ち着き、会話の全く無い透との生活にも耐えられるのだ。そしてそれらの商品は一度も使われることなく押し入れの段ボールにしまい込まれる。その点の病的な心理ー逃避ー描写が畳みかけるように読者に伝わってくる。

 侑里は黙って段ボールを抱き締めていた。何も考えない、何も言わない、という方法を見つけた時、これでいいと思った。これで透と穏やかに暮らしていけるなら、感情というものを全て捨ててしまっても構わない。実際、その方法は成功したかのように思われた。しかし身体の内側は錆びついていた。侑里はだんだんと息苦しくなっていた。何とかしなければと思った。でないと、貯め込んでいたものを一気に吐き出してしまうかもしれない。そうしたら、すべてはおしまいだ。
今、よくわかる
このモノたちは、侑里が言えなかった言葉の代償だ。ワンピースは「昨夜どこに行ってたの?」、バッグは「いつになったら両親に挨拶にゆくの?」、スーツは「女がいるの?」、イヤリングは「私たち、これからどうなるの?」
けれど、もう駄目だ。このままだったら、私たちは本当に駄目になってしまう。今まで、回りの誰もに幸福を装って来たけど、もう限界だ。救けが欲しかった。

金大中離党

先日、韓国大統領の金大中が息子の不正疑惑や側近の逮捕に関して、与党新千年民主党を離党したが、日韓ワールドカップ開催が近いというのに、日本ではあまり大きく報道されていない。韓国では盧泰愚元大統領と金泳三前大統領も政権末期に与党離党を余儀なくされているが、大統領制の韓国政治は議院内閣制の日本の感覚ではやはり理解が難しい。小泉総理も郵政民営化論に関して、「自民党が小泉政権を潰す」と息巻いているが、議院内閣制のもとでは小泉内閣は政権与党自民党を母体とするしかない。小泉総理の発言は制度的には齟齬を来しているのだが、手垢のついた「改革派vs抵抗勢力」の構図に当てはめてみれば理解しやすいのだろう。

『風の又三郎』

宮沢賢治短編集『風の又三郎』(角川文庫)を読む。
残念ながら表題作の「風の又三郎」はあまり面白くなかった。しかしその中で原稿用紙数枚の短編である「祭の晩」(1924年発表)が興味深かった。簡単にあらすじをいうと、ある秋の祭りの晩に掛茶屋である男が団子のお金がなくて店の主人からこっぴどく責められる。男は薪百把持ってくるからと謝っても店の主人は納得しない。そこへ通りかかった亮二がお金を払って事無きを得る。その晩亮二のお爺さんがその男の話を聞き、「山男」だと話をしている時に、外で大きな音がして、出てみると家の前に薪が積み上がっていたという恩返しの話である。この中でつい見逃しがちであるが、「山男」という単語が気になった。この作品に登場する心優しい山男の姿は、柳田国男の『遠野物語』(1910年刊行)で伝えられる異様な山男像に対するアンチである。

三角寛の作品に山窩(サンカ)が多く登場するが、詳しくは 沖浦和光<「サンカ」は日本文化の地下伏流>を参照下さい。

『地下鉄に乗って』

吉川英治文学新人賞を受賞した浅田次郎『地下鉄に乗って』(講談社文庫)を読んだ。
久々に面白い小説だった。永田町の地下鉄駅の階段を上がると、30年前にタイムスリップをしてしまうというSF的な小説なのだが、過去の世界で出会う父親の生き様に触れることで、主人公の真次の現在の家族観が大きく揺らいでいくのだ。最後は主人公の彼女であるみち子の恋人を思う一途な「自殺」で終わるラブロマンスに仕立て上げられている。読み終わって内容を振り返るに、タイムスリップという超常現象を間近に体験する真次とみち子、それを間接的に聞く上司や家族、そしてすべてを見越した老人のっぺいの三者の視点が複層的に絡んでくる計算されつくした展開に改めて気付いた次第である。