『全人教育論』

小原國芳『全人教育論』(玉川大学出版部 1969、改訂版1997)を読む。
成城学園の主事として大正自由教育運動を担い、玉川学園を創設した小原氏の理想的な教育哲学と教育実践が述べられている。戦前の国家主義的な注入教育全盛の時代に、ペスタロッチ的な児童中心主義を貫いた教育思想を主張したことの意義は大きい。総合的な学習の時間や宗教に対する精神の涵養など現在の教育政策につながるようなことにも触れている。
しかし、彼の言うところの全人教育や宗教教育の中身の構造は見えてこなかった。ちょうど時代的に近いせいもあるが、太宰治が「富嶽百景」で述べた芸術論を思い起こさせる。大宰が芸術を調和の象徴である富士山に喩えたように、小原氏は教育の理想を児童の調和的発達に見出す。

永遠に未来永劫不変の教育とは、あらゆる正反対の二つの一つ一つを一つにした一つのみがそれだと思うのです。その中心が実に自我なのです。その自我を広く、高く、深く、清らかに育て上げねばなりませぬ。

『ルソー』

桑原武夫『ルソー』(岩波新書 1962)を読む。
言わずと知れた『社会契約論』『エミール』の著者であるルソーだが、改めて彼の思想の革新性に触れることが出来た。一般にルソーというとロックが提唱した「市民の権利」を絶対的なものと位置づけフランス革命の理論的な裏付けとなった偉大な人というイメージがある。しかし実際は当時のブルボン王朝体制を批判し、キリスト教も否定した人物のため、時の政府に嫌われ、晩年は執拗な警察の嫌がらせに耐えながらの生活だったようだ。ルソーというと民主主義の基礎を作ったと歴史の教科書には書かれているが、当時起こりつつあったブルジョワ民主主義すらも強く否定している。『人間不平等起源論』の中で次のように述べる。

土地にかこいをして「これは俺のものだ」と宣言することを思いつき、それをそのまま信ずるようなごく単純な人々を見出した最初の人間が、政治社会の真の建設者であった。杭を抜きとり、あるいは溝を埋めながら「こんなペテン師のいうことを聞いてはならない。果実は万人のものであり、土地は誰のものでもないことを忘れるなら、それこそ諸君の身の破滅だ!」とその同胞に向かって絶叫する者が仮にあったとしたら、その人は、いかに多くの犯罪と戦争と殺人を、またいかに多くの悲惨と恐怖を、人類にまぬがれさせてやれたことだろう。

ルソーの考える理想的な教育論を展開した作品として『エミール』が良く世間に知られているところである。教育史の本などを読むと、ルソーは子どもの持つ良い可能性を盲進し、孟子の性善説を地で行くような教育を展開したように書かれている。しかし、実際のルソーは孟子というよりは、老荘な「無為自然」を説いたのである。彼の思想はフランス革命に影響を与えたというよりも、1870年代のフランスのパリコミューンに直接的な影響を与えたと考えて良い。

ルソーが音楽教師時代に「むすんでひらいて」という曲を書いたという事実は「へぇ〜」70くらいあった。

マックOS10.4Tiger

先日、マックOS10.4Tigerを注文した。10.3よりもさらに軽くなっているそうで今から楽しみである。特にBluetoothを利用することができる画像編集アプリケーション(core image?)がデフォルトで入っているそうなので、先日買った東芝の携帯とうまく繋がるのか気になるところである。

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製品名: Mac OS X v10.4 “Tiger” アカデミック版

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『湯川秀樹』『映画少年・淀川長治』

まったく接点のなさそうな二人の伝記を取り上げてみたい。

二反長半『湯川秀樹』(ポプラ社文庫 1994)と荒井魏『映画少年・淀川長治』(岩波ジュニア新書 2000)の二冊を読んでみた。

湯川秀樹氏は1907(明治40)年生まれ、淀川長治氏は1909(明治42)年生まれとほぼ同時期に生まれている。湯川氏は学校の一方的な解法を強いる授業よりも数学や物理の世界に興味を持ち、淀川氏は映画館こそが学校であると湯川氏とは逆に理数科目はぼろぼろであった。そして二人とも青春時代を戦争とともに過ごし、戦争に対する批判として、湯川氏は平和のための科学技術の在り方を、淀川氏は平和の礎を築くための愛を映画に求めていった。戦争をどういう形で体験し、どう反省したのかということがこの世代の人間にとって大きなテーマである。文学だけでなく、映画や科学の世界でも戦争の総括が戦後の発展の岐路となっていったのだ。