『なぜ男はギャンブルに走り、女は占いにハマるのか』

 和田秀樹『なぜ男はギャンブルに走り、女は占いにハマるのか』(青春出版社 2001)を読む。
 インパクトのある表題についての内容は全体のごく一部で、ストレスが引きがねとなった買い物や結婚、引きこもりなどの日常生活における行為を取り上げ、分かりやすく解説を加えている。

 この中で、本題とは少々逸れるが、教育に対する著者の意見は興味深かった。これまでの学校現場では、テストの点数や偏差値の向上でもって単純に生徒を誉めることができた。生徒の方も、ちょっと机に向かって勉強して成績の数字が上がれば、教師からも親からも評価されるというカラクリが分かっていて、勉強ができる子どももできない子どももそれなりに他者からの評価を得ることができた。しかし、現在は勉強だけでなく、勉強に向かう態度や他者との協調性という数値でははかり切れない主観的なモノサシで子どもを図ろうとする。現行の学習指導要領にも明記されている。だが、そうなると「人柄」という周囲の目線そのものが評価につながり、生徒にとって大変なプレッシャーとなってしまう。そして、客観的な基準がないから、いつまでも自分を肯定できず、健全な自己愛が育たないと著者は述べる。

 最後の項において、著者は人間を大きく、「自分」主体で物事を判断する「メランコ(うつ病型)人間」と、「他人」主体で行動を決定する「シゾフレ(分裂病型)人間」に分ける。そして、現在の日本人は、付和雷同型の「シゾフレ人間」が増加しており、個性重視の合唱の中で、他人と同じ行動を取りたいと考える傾向が特に若者の間で増えていると指摘する。しかし、「他人が私をどう見ているのか」「他人はどれを良いと言うの か」と他人の価値に依存していくと、物事を善悪のどちらかでしか判断できない二元的思考(「ボーダーライン的心理」)しかできなくなり、そのことで、簡単に仮想的を作って内部でまとまろうとしてしまう危険な集団心理に染まりやすくなってしまう、と著者は警句を発する。

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