「子どもの貧困」

本日の東京新聞朝刊の「子どもの貧困」は、児童養護施設で暮らす小学校2年生の男子児童が、たまの外泊で父親と「ニンテンドーDS」で楽しんでいる という内容である。子どもを取り巻く「貧困」は、かつてとは様相を異にしており、DSやiPod(アイポッド)などの最先端の電子機器は”必需品”。継ぎ はぎだらけの服のかわいそうな子どもたちは、過去の話で、施設の中堅職員は「公園で遊んでいても、誰も貧しいとは気付かない」と語る。
見た目が普通であれば、貧困に気付かないというのは、功罪両方あると感じる。日本は安くて高品質な服が広く流通しており、それなりの格好をしておれば貧困が分かりにくいというのは良いことでもある。しかし、身なりや持ち物だけで判断してしまうのは危険である。
私たち日本人は、昔のアニメやドラマのような分かりやすい貧しさに慣れ親しんでいるためか、どうしても普通の身なりをしていると「中流」だと決め込んでしまう節がある。そうした内なる常識を打破していくことが求められる。
以下、記事の引用である。しかし、何が言いたいのか一読した限りでは良く分からない。

国立社会保障・人口問題研究所部長の阿部彩氏は著書「子どもの貧困」で、日本人の「貧相な貧困観」を指摘する。子どもにとって の必需品を調査した先進国間のデータの比較では、英国では84%がおもちゃを必需品と回答したのに対して日本では12.4%、自転車は英国で55%、日本 が20.9%など、いずれの項目でも大きな差があった。
阿部氏は日本人の心理の根底にある「総中流」や「貧しくても幸せな家庭」といった「神話」が、子どもの貧困問題に対する日本人の鈍感さにつながっているとみる。

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