経産省前テント広場のメーリングリスト(1月25日)より
知事選に続き衆院選でも沖縄では惨敗した安倍政権はそれを無視し、前知事仲井真の裏切行為と呼ぶほかない埋め立て承認を手掛かりに辺野古の埋め立てを強行せんとしている。口を開けば「法治国家」だ「反テロ」というが、どこに法治国家があるのか。国民の意思を無視することと「法治国家」の存在はどう関係するのか。聞いてみたいものだ。法治国家は彼らには都合のいい言葉に過ぎず、国民の意思が憲法を作り、それによって政治(権力行使)を行うという原則は彼らの行為にはない。辺野古の基地についての沖縄県民の判断は憲法的な判断である。あのような意志は憲法を作りだした意思と同じである。憲法(法治国家)の何かを沖縄の国民の行為は示している。安倍政権の体質と行為は「法治国家」などご都合的な言葉だが、僕らはそれには騙されやしないのである。
「イスラム国」のテロ行為を批判するのはいい。これについてはいろいろと意見もあるが、このことで、今、安倍政権が沖縄に向けてやっている行為はごまかされない。安倍が沖縄でやっていることは専制的で、強権的な国家行為であり、これは国家(権力)によるテロ行為ではないのか。「イスラム国」のテロ行為を批判するのはいいが、だからと言って自国民に向けられたテロ的な行為を僕らは見逃さない。
1月17日には「女の平和」を合言葉に7000人の人々が国会を包囲し、安倍の積極的平和主義という名による戦争主義(戦争を普通のこととしてやるという考え)を批判した。日本が戦後に国家行為として禁じてきた戦争を積極的平和主義の名で破る行為は許されない。これは基盤的には高度成長経済に行き詰まった日本経済が金融経済と軍事経済に活路を求めたアメリカ経済の模倣に走ろうとしていることがある。軍事経済や軍需生産に高度成長後の道を見出そうとしている。武器輸出の規制を緩和し、原発を輸出することも関連するが、軍事生産拡大の道に歩を進める。結局、アメリカが冷戦構造崩壊後も戦争への道を止められなかった歴史を安倍は経済的基盤の方から後追いしているのである。集団的自衛権行使容認はその政治的対応である。アメリカの要請だけではなく、日本経済の面から出てきたこの道は危険な道である。アベノミクスの隠された実体がここにあるが、政治と経済の両面からの戦争への道が出てきたこの匂いに僕らは敏感でなければならない。安倍の中東訪問とそこでの演説にこうした匂いを人々が察知していることを僕らは知らねばならない。
女性の声を中心に盛り上がった安倍の積極的平和主義批判(集団的自衛権行使容認批判)は現在から未来にかけての日本の政治的動向への警鐘であり、多くの共感を呼ぶものだった。1月17日と1月25日、赤と青の彩りで発せられた安倍批判は僕らが共有していくべきものだろう。(三上治)