『サーチエンジン・システムクラッシュ』

芥川賞の候補ともなった、宮沢章夫『サーチエンジン・システムクラッシュ』(文藝春秋 2000)を読む。
40を過ぎた中年男が、自身の存在を確かめながら、学生時代のゼミ仲間の殺人動機やゼミ教授の正体を追って池袋の町を歩き回る。ストーリーは最初から破綻しており、大学卒業してから20年も経つのに、その確かな到着点を確かめられない人間心理や社会の移り変わりが描かれる。
主人公して言わしめている次のセリフが印象に残った。

あの日(「虚学」ゼミの講師である)畝西が十一人に向かって投げかけた言葉、「生きているのか、死んでいるのかわからない。その曖昧さに耐えられるか」という言葉をまた思い出した。僕たちは存在していなかったかもしれない。生きていたのかもしれないし、死んでいたのかもしれない。宙ぶらりんで、なにかロープのようなものを支えにして、あれから僕たちはずっと空中に浮かんでいたにちがいない。浮遊するためのロープから手を放し、どこかへ飛び降りようにも、その場所が見あたらず、向こうで誰かが飛び降りたのを見て軽蔑した。あんな場所に降りたのかと笑っていた。あんな場所に降りるくらいならこのまま宙ぶらりんのままがいい。気がついたら二十年が過ぎていた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください