『男性解体新書』

先日の地震で本棚に積んであった本が崩れ、購入したまま久しく陽の目を見ていなかった本が出てきた。
村瀬幸浩『男性解体新書:柔らかな共性と性教育の革新のために』(大修館書店 1993)を読む。
元保健体育の教員である著者が、男性器の構造や男性の性の悩み、また「男らしさ」の呪縛などを分かりやすく語る。著者はいたずらに「ジェンダー論」に寄せ付けるのではなく、男性の性機能そのものに対する抑圧から男性を解放することが先決だと述べる。「草食系」や「イクメン」といった言葉が当然のように使われる2011年の現在の状況に照らし合わせると当然のような議論にも見える。しかし、バブル崩壊までは「3高」や「過労死」といったように、「男らしさ」が過剰に強調され、男性性からの解放といったスローガンも相当の革新であったのだろう。

私はこの性交を含む性関係のあり方の問題が、言葉にあらわしにくいがそれだけに最も深いところで差別意識や支配、服従の関係を男女の間で再生産しているのではないかと思うからです。政治的にはもちろん、経済的に、あるいは家庭内の役割において対等な関係がなりたったとしても、なお残る両性間の問題は「性」である。「性表現」「性関係」「性の主体は男であり女は受け身という刷り込み」ではないかと思うのです。残る問題というのは適当ないい方ではないかもしれない。あえてスタートの問題といったほうがいいかもしれない。性関係における支配、服従(主体と受け身)の刷りこみが男女関係を窮屈にし抑圧する根源というべきかもしれません。

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