真島久美子『お見合いの達人』(講談社)を読んだ。
結婚という制度を「前近代的な家族制度」と社会学的に位置づけるのは簡単である。婚姻によって女性は姓氏を変更させられ、「良妻賢母」の生き方を強いられ、男は仕事、女は家庭」という性的役割分担が強要させられるという論点だ。現在の家族制度が家父長制のもとにあり、総力戦体制下に鼓舞された「兵士を送る銃後の家族」の延長上にあるというものだ。
「婚約者を戦争で失ったTさんも『独身でいるために欠陥人間のようにみられたり、差別されたりしたことが何より辛かった』と語っていますが、わが国には『個人の自由』を尊重する本来の意味での個人主義がまだ未成熟です。そのため「みんなが結婚するからわたしも』と世間の習俗に追従する傾向や、「女性の幸せは家庭に入ること」といわれて無批判にうけいれる状況があります。そのうえ女子をそのように教育しようとする長年の慣行が残っています。一方、男性のほうにも、衣食住や生活の便宜のために結婚するような態度があります」和田典子『女生徒の進路』(岩波ジュニア新書)
真島さんはそのような狭い意味でのウーマンリブ的意見に対して「しかし、自然界の中で、つがいにならないことを選ぶ動物が存在するだろうか。人間だって生き物なのだ。自然のサイクルからはずれた生き方ができるとは、思えない。物や情報が、あまりにも豊かになりすぎてしまった今、私たちはもう一度原点に立ち返って考えてみる必要があるのではないか。」と保守的意見をしゃあしゃあと述べている。しかし原点にまで帰る必要なはいが、10代・20代の若者にも分かりやすい言葉で、結婚制度や改姓、差別の問題を伝えていく必要がある。
上記の「分かりやすい言葉」というのが私の現在の「マイブーム」(古いなあ)である。