月別アーカイブ: 2025年12月

『夫婦2人で世界一周自転車旅行』

青木史也『夫婦2人で世界一周自転車旅行』(彩図社,2014)を読む。
タイトルにある「世界一周」ではないが、タンデム自転車で東南アジア、東アフリカ、ヨーロッパ、北米、南米を旅したエピソードが綴られている。ちょうど著者は私と同年代であり、まだ体力が有り余っている30歳前後の頃の旅日記である。時期も異なるので仕方ないのだが、一つ一つのエピソードが繋がっていないので、冒険というよりも旅行記のような体裁となっている。もう少し編集サイドで地図やエピソードのまとめがあると、もっといい本になったのにと思う。

『コンビニ ファミレス 回転寿司』

中村靖彦『コンビニ ファミレス 回転寿司』(文春新書,1998)を読む。
著者は東北大学文学部を卒業後、NHKで食の取材を重ねてこられ、執筆当時解説委員と女子栄養大学客員教授を務められている。もう30年くらい前の本であるが、タイトルにあるコンビニ食やファミレス、回転寿司だけでなく、食料自給率やフードロス、米余り、冷凍食品技術、遺伝子組み換え、子どもの孤食など、現在にもつながる食をめぐる様々な課題に言及している。「子どもの食卓はその家庭や家族状況を知るための手掛かりになるだけでなく、その時代の食事情をうかがわせる入口」だと著者が述べるように、個別の食事や食生活が、時代を反映する鏡となっていることに気づく。

米余りの分析が興味を引いた。10アールあたりの年間労働時間(1996年)を比べると次のようになる。

  • 稲作 38時間
  • 露路野菜 110時間
  • 温室・ハウス野菜 212時間
  • 温室の花栽培 236時間

上記の統計を見ても分かる通り、米は他起こし、田植え、収穫作業まで一貫して機械化されているし、共同の施設もあり、雑草をとるにも除草剤があり、病気や害虫を防ぐ農薬まで準備されている。他の作物に比べ3分の1から6分の1の労働時間ですむ。だから、サラリーマンしながらの第二種兼業農家として最も適した作物となった。といってもコメも1970年(昭和45年)には、10アールあたりの労働時間は117.8時間であった。必ず政府が購入する食管制度に守られ、農機具メーカーも開発努力を継続できたことが背景にある。

『米中戦争』

渡部悦和『米中戦争:そのとき日本は』(講談社現代新書,2016)を卒読する。
ちょうど今日の東京新聞朝刊に、米国のルビオ国務長官が「日本との強固な同盟関係を継続し、中国とも生産的な協力関係を築き続けることは可能だ」と述べ、日中関係の悪化に距離を置く姿勢を示したとの記事が載っていたので、米国は中国との対立をどのように考えているのかと思い手に取ってみた。

著者は東京大学を卒業後、陸上自衛隊に入隊し、陸上幕僚副長を経て東部方面総監を務めた軍事作戦の専門家である。習近平主席は、中国の国家主席に就任した際に、「米国と対等かそれ以上の覇権国家になること」、「広大な太平洋は二つの国にとって十分な空間がある」と宣言し、「陸を重んじ海を軽んじる伝統的な考え方を打ち破り、海や大洋を管理し、海洋の権利と利益を防護することに重点を置くべきである」と海軍重視の姿勢を打ち出している。そのため台湾や尖閣諸島に圧力をかけてきている。

細かい兵器の名称や説明は読み飛ばしたが、中国は東シナ海、台湾、南シナ海を含む第1列島線を直接支配下に置き、第2列島線まで中長距離ミサイルの射程に置く戦略をとっている。著者は米軍の東アジア戦略にうまく乗っかり、韓国やフィリピン、シンガポール、インドネシア、オーストラリアとの軍事連携をとり、潜水艦を活用した戦略を取るべきだと述べる。

そもそも中国には国家の軍隊も国民の軍隊も存在しない。人民解放軍は共産党中央軍事委員会が指揮権を一手に掌握する「私兵」である。だから天安門事件(1989)で、軍が共産党の命令によって民主化を求める多くの若者を殺害(中国の発表では319人、英国機密文書では1万人とも)したのである。

また、NATOは「米国を引き込み、ロシアを締め出し、ドイツを押さえ込む」ための組織であるとの指摘は興味深かった。米国はドイツをNATOに閉じ込めることで、米国の核の傘を提供し、ドイツの核武装を牽制してきた歴史がある。また、日米関係も同様で、日米は対等な軍事関係ではなく、日米同盟は日本を押さえ込む頸木の役割を果たしてきた。

『私の青春日めくり』

澤地久枝『私の青春日めくり』(講談社,1986)を読む。
タイトルはほんわかした感じだが、澤地さんの学生時代のゴリっとした過去が綴られている。昨日読んだ林望氏の慶應大学文学部の金持ちエピソードとは全く異なる。澤地さんが早稲田大学第二文学部在学中に起きた、レッドパージ反対運動に対して警官が学内に導入され143名が検挙、86名が除籍処分となった「早稲田大学事件」をメルクとしたイザコザが語られている。昭和20年代の「政治の時代」の雰囲気がよく伝わってきた。

『テーブルの雲』

林望『テーブルの雲』(新潮社,1993)をパラパラと読む。
ちょうど通過儀礼について教材研究をしていたので、映画『スタンド・バイ・ミー』の解説が興味を引いた。

先週、殺害事件に巻き込まれたロブ・ライナー監督の有名な作品である。主人公の男の子たちが、家出するようなかたちで川向こうの死体探し探検に出かけていく内容である。主人公のやや女性的な少年が、町のチンピラに兄から貰った帽子を奪われてしまうシーンは、大人と子どもの対立的な関係を象徴している。大人たちの抑圧は子どもの自己実現を妨げる障壁としてその前途に立ちふさがる。成長過程の大きな試練となる。

また、鉄道の鉄橋を渡っていく場面は、枕木の下に深い谷底が透けて見える恐ろしい場所である。それを渡ること自体「試練」にほかならない。少年たちの成人には、およそこういう儀式的訓練が必要で、それを民俗学の用語ではイニシエーション(年齢的通過儀礼)という。その場面で家族との絆である櫛を落とす象徴的なシーンがある。大人の男として生きていくには、家族との絆を断つ孤独が待ち受けていると著者は解説している。