月別アーカイブ: 2025年1月

『歌謡曲から「昭和」を読む』

なかにし礼『歌謡曲から「昭和」を読む』(NHK出版新書,2011)をパラパラと読む。
著者は昭和を代表する作詞家であり、北島三郎の「まつり」(1984)や細川たかしの「北酒場」(1982)などのヒット曲を手掛けている。また、平成に入ってもTOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」(2003)など、印象に残る歌を作っている。

意外だったのが、軍歌に対して一線を引き、外国の唱歌に国威発揚の歌詞をつけたり、戦争で命を落とす若者への配慮のない芸術家に対して、しっかりと批判を述べている。

私は「愛国的」つまり「日本のため」ということ自体、芸術家として根本的な誤りであると思う。(中略)作家の卓抜な技によって煽り立てられて戦地に赴き、戦死したり苦難を強いられたりした若者が大勢いたことに、作家たちは罪の意識を感じなかったのだろうか。感じていたら、次々に書くことなどできないはずだから、(中略)そこに彼らの罪がある。

平成21年(2009)、イスラエルのエルサレム賞を受賞した作家の村上春樹は、授賞式で、「高くて硬い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」と自らの文学的信念を語り、列席していたイスラエル大統領の面前で、イスラエルによるガザ侵攻を非難した。私は一人の作家として、この言葉に共感する。作家はどんな国も支持してはならないし、どんな主義も支持してはならない。支持した瞬間、作家は「主人持ち」になり、その側から発言することになる。それは村上春樹の言葉を借りれば「壁」になることに他ならない。仮にいま戦争が起きたとして、国策に沿った歌を書くように言われても、私は絶対に書かない。それは政治思想の問題ではなく、歌を作る人間として、あるいは作家として、「主人を持ってはならない」と考えるからである。芸術に携わる人間は、決して自らが「壁」になってはならないのだ。

『登山入門』

近藤信行『登山入門』(岩波ジュニア新書,1982)をパラパラと読む。
著者は登山の専門家ではなく、登山関係の著作も多い文芸評論家である。そのため登山の際の装備や地図の読み方、岩登りの技術といった実技的な内容だけでなく、登山の歴史や古くは万葉集にみられる山の叙情などについても詳しく書かれている。

現在は登山というと、観光や健康という側面が強いが、ロッククライミングのようなタイムを競うスポーツ競技も含まれる。こうしたスポーツクライミングの原点は、19世紀半ばの大英帝国時代のアルプス山脈攻略に始まる。イギリスを中心に19世紀後半には、アラスカや南米大陸、カフカス、ヒマラヤ、カラコルムや中央アジア、アフリカなどに遠征が試みられるようになる。なかでも、当時のインドはイギリスの統治下であり、ヒマラヤ山脈にはイギリスの登山家だけでなく、欧州各国の探検隊や、軍人や科学者まで送り込まれ、やがて無酸素登山や岸壁直登のアドベンチャ時代へ受け継がれていく。

深谷商業高等学校記念館(二層楼)

所用で深谷商業高校に出かけた。1922年(大正11年)、学校創立の翌年に建てられた旧校舎(二層楼)は、2000年に国の登録有形文化財の指定を受け、創建当時の色合いで塗り直されて、深谷商業記念館として保存されている。建てられた年に渋沢栄一が講演を行った場所としても知られ、市のシンボル的存在ともなっている。

得てしてこうした記念館は保存・公開がメインとなり、一般の使用は禁じられる傾向が強い。しかし、この二層楼は、平日は会議や講義などで利用し、日曜日のみの一般公開となっている。現在も生徒や教員が使用している「生きている校舎」という位置付けが評価できる。

「自分自身の精神科病院の入院カルテ開示から自身の〈病気〉を振り返り、今後の〈わたしの人生〉に活かす試み」

第67回日本病院・地域精神医学会総会兵庫大会(2024年11月30日・12月1日)で発表された「自分自身の精神科病院の入院カルテ開示から自身の<病気>を振り返り、今後のくわたしの人生>に活かす試み〜医師の診療録と看護記録、PSW記録等を読んで〜」の資料を読む。

タイトルの通り、PSWとして地域の医療・福祉に貢献されていた発表者自身が、一昨年の秋に「双極性感情障害」にかかり、「隔離」や「身体拘束」、「電気けいれん療法」を伴う医療保護入院となった経験を踏まえ、目指すべき精神医療福祉や病気との連れ合い方について言及している。

発表者は「精神病」の症状に通暁している専門職である。にもかかわらず、開示請求した入院カルテを読むことで、自身の躁状態での記憶喪失に対する驚きが綴られ、当事者の立場から身体拘束の妥当性について考察している。

また、専門職を中心としたチーム医療から、当事者による当事者自身の自由研究と、それを実現するために当事者と専門職が膝を突き合わせて語り合うことの「場」を作ることの可能性について論じている。

最後に発表者は、退院後のリハビリテーション(人間らしく生きる権利の回復)として「こころのよりどころ」(=「依存先」「居場所」)を複数持つことを提案する。

龍谷大学政策学部教授の服部圭郎は、著書『若者のためのまちづくり』(岩波ジュニア新書,2013)の中で、家(ファーストプレイス)や職場・学校(セカンドプレイス)でもない、友人と集まる喫茶店や居酒屋、ダンスサークルやバンド仲間と集うスタジオ、公園にあるバスケットボール・コート、また空き地の原っぱの秘密基地などのサードプレイスについて説明している。

サードプレイスとは、親子や労働者、経営者としての束縛から解放され、自分自身を取り戻す機会を提供してくれる場である。ヨーロッパのビアハウスやカフェのように、公式ではない集まりの場だからこそ、家庭や職場の人間関係から独立して個人の自我を確立する重要な役割を果たす。

ちょっと大げさに言えば、お互い共通の利害を持っていない市民が集まって、いろいろと議論を重ねるうちに共通の問題意識を持つグループが誕生する、民主主義を育む場とも言える。

かつての日本でも道端や銭湯での井戸端会議がそうしたサードプレイスを担っていたが、生活環境の孤立化やニュータウンの拡充によってどんどん潰され、息苦しい郊外型の都市空間が広がっている。

社会全体においても、発表者の指摘する「こころのよりどころ」となる公共的な空間を確保することが求められている。ネット上にも様々な表現空間が広がっているが、「焚き火を囲む」ような距離で、自分の言いたいことを曝け出すことができる時間と空間が大切である。

その文脈で言えば、「居酒屋赤道」の先見性は、現在においても評価されるべきものだよね。(内輪受け)

『笑えるクラシック』

樋口裕一『笑えるクラシック:不真面目な名曲案内』(幻冬社新書,2007)をパラパラと眺める。
詳しくは覚えていないが、何かの話のネタにと新刊で購入して、そのまま積ん読になっていた本である。小論文指導で有名な樋口裕一氏の手によるものである。生真面目に肩肘張って聞くクラシックではなく、作曲家自身もユーモアを込めて作った作品もあり、そうした笑える作品を気軽に味わってみようという入門書である。さすが小論文指導を専門としている著者だけに、読みやすい文章であったが、内容に全く興味がわかなかった。