第67回日本病院・地域精神医学会総会兵庫大会(2024年11月30日・12月1日)で発表された「自分自身の精神科病院の入院カルテ開示から自身の<病気>を振り返り、今後のくわたしの人生>に活かす試み〜医師の診療録と看護記録、PSW記録等を読んで〜」の資料を読む。
タイトルの通り、PSWとして地域の医療・福祉に貢献されていた発表者自身が、一昨年の秋に「双極性感情障害」にかかり、「隔離」や「身体拘束」、「電気けいれん療法」を伴う医療保護入院となった経験を踏まえ、目指すべき精神医療福祉や病気との連れ合い方について言及している。
発表者は「精神病」の症状に通暁している専門職である。にもかかわらず、開示請求した入院カルテを読むことで、自身の躁状態での記憶喪失に対する驚きが綴られ、当事者の立場から身体拘束の妥当性について考察している。
また、専門職を中心としたチーム医療から、当事者による当事者自身の自由研究と、それを実現するために当事者と専門職が膝を突き合わせて語り合うことの「場」を作ることの可能性について論じている。
最後に発表者は、退院後のリハビリテーション(人間らしく生きる権利の回復)として「こころのよりどころ」(=「依存先」「居場所」)を複数持つことを提案する。
龍谷大学政策学部教授の服部圭郎は、著書『若者のためのまちづくり』(岩波ジュニア新書,2013)の中で、家(ファーストプレイス)や職場・学校(セカンドプレイス)でもない、友人と集まる喫茶店や居酒屋、ダンスサークルやバンド仲間と集うスタジオ、公園にあるバスケットボール・コート、また空き地の原っぱの秘密基地などのサードプレイスについて説明している。
サードプレイスとは、親子や労働者、経営者としての束縛から解放され、自分自身を取り戻す機会を提供してくれる場である。ヨーロッパのビアハウスやカフェのように、公式ではない集まりの場だからこそ、家庭や職場の人間関係から独立して個人の自我を確立する重要な役割を果たす。
ちょっと大げさに言えば、お互い共通の利害を持っていない市民が集まって、いろいろと議論を重ねるうちに共通の問題意識を持つグループが誕生する、民主主義を育む場とも言える。
かつての日本でも道端や銭湯での井戸端会議がそうしたサードプレイスを担っていたが、生活環境の孤立化やニュータウンの拡充によってどんどん潰され、息苦しい郊外型の都市空間が広がっている。
社会全体においても、発表者の指摘する「こころのよりどころ」となる公共的な空間を確保することが求められている。ネット上にも様々な表現空間が広がっているが、「焚き火を囲む」ような距離で、自分の言いたいことを曝け出すことができる時間と空間が大切である。
その文脈で言えば、「居酒屋赤道」の先見性は、現在においても評価されるべきものだよね。(内輪受け)